人体とエネルギー:友達を失って、わたしが決めたこと
去る3月24日に、わたしは元同僚であり、信頼できる長年の友人であった女性を失いました。 46歳。ガンでした。 その発覚を聞いたのは昨年の夏のことでした。 その時にはすでに彼女は、抗がん剤というものを使っての今後の治療方針を決めてあり、「わたしが口を挟むことによってその決心を揺らがせてはいけない」と、瞬時に判断せざるを得ない状況でした。 それはわたしにとって、辛いことだった。 打ちのめされた。 なぜならわたしは抗がん剤というものに対して非常に懐疑的、もっとはっきり言えば、「良くない」と思っている人間だからです。 この、「なぜ良くないのか」という話は、5分や10分で済まされる話ではありません。 ただ単に否定しているわけではありません。 その根底には、一言で表すなら QUALITY OF LIFE 、 あるいは人間の尊厳、 あるいは生命というものをどれだけの深度をもって考えるか、という究極の思想があります。 わたしは父も、父方の祖父母もガンで亡くしており、ガン治療のプロセスというものを知っています。 それは一度その俎上に上がってしまったら、自分から判断して適度なところでやめる、ということが事実上できない「仕組み」であることを理解しています。...