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諏訪と北斗七星、そして富士北麓の妙見


諏訪と北斗七星、そして富士北麓の妙見


以前、日本という国土は中央が地形上ボルテックスになっており、そのボルテックスの中心が諏訪湖だとひらめいた!

という記事を書いた。(早いねえ、1年前のことだよ)

 

https://energyboutique.net/blogs/universo-ao-meu-redor/210628

 

で、中央構造線が交差するのが諏訪なわけだが、

今回、例によって超ひょんなことから(というのは富士北麓の南朝伝説のことを調べていた流れで)、こんな記事を見つけてしまい

 

 

おおおおおおおお!

となった。

 

おおおお!ポイントはいくつかあって、

ほらね、やっぱ、そうなんじゃん!!!(ボルテックスの件)

というのもあるけど、それより大社とその他の神社で

諏訪湖を中心とした北斗七星

が形成されているという話は

くはーーーーーーーーーー!!!

となった。

盲点だった。諏訪は何度も訪れているのに、気がつかなかった。

だから検索したけど、何も出てこなかった。それも不思議。

まあ、この方が唱えているというだけのことかも知れないけれど、わたしには興味深い。

 

 ちなみに

北斗七星=妙見信仰

ね。念のため。

 

もはや空海と並ぶ、わたしにひっついてくる大テーマである妙見。

空海のことは人として身近に感じているけど、妙見に関しては本当にわけわからない。妙見信仰について深掘りした本も探しまくったけど、

ない!

のよ。わたしが知りたいのは風水的な意味なんかじゃない。もっと根本的なこと。いったい何だったのか、という話が知りたい。

 

ちなみに、おさらいしとくと、ものすごく盛んだった妙見信仰は、明治政府に「消された」のよ。

しょーがないから妙見菩薩はアメノミナカヌシってことにして、御祭神に変えた。

 

 

で、「ひょんなこと」に話を戻すと、富士北麓(例の不二阿祖山太神宮がある一帯)はね、

「明見(あすみ)」っていう地名なのよ。

明見って、つまりミョーケン、妙見でしょ。

 

そしてこのエリアは、織物関係が地場産業だったらしいの。

機織(はたおり)ね。織姫と彦星の話を思い出してみてね。

この特徴って、星田妙見エリアでもまったく同じだった。

(そういえば、星田妙見宮に行った時の話をどこにも書いていないと今知ったw)

はた織り=ハタ=秦氏

だからやっぱりここも妙見なんだよ。エリアには「羽田」などの姓が多い。秦氏よ、だから。

 

また、このエリアには南朝の話の他に徐福伝説が残っていて、もう謎のてんこ盛りお腹いっぱい!なんだけど、

明見池というのがあり、その近所に「太神社」というのがある。

気になるのでGoogleマップでのぞいたら、なぜかこんなものが敷地内にあるようで。

 

ど真ん中になんて書いてあるのか判別しづらいけど、両脇を見て驚きよ!

左は「三島大乃?神」

そしてなぜか右手のは「邪馬台国ナントカ」って文字が見えるよ。

えーーーーーーーーーーーーーー!!

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!

まさに少女神 ヤタガラスの娘 』(みシまる 湟耳氏の著作)の争点。(この本絶対読んでね!)

石は比較的新しいものに見えるけど、なんか、なんか!ワケ分かってる人が建てたものと思われる。

それにしても、なんで?どうしてこんなところに????

 

ま、とにかく、来週この辺りは再訪することになってるの。

 

 

で、話を諏訪に戻す。行ったり来たりでごめんなさいね。

 

先ほどのブログを読み進めて「おおおおお!」のポイントはこれ!

 

タテに走るフォッサマグナと、ヨコに走る中央構造線が交差するところは

諏訪湖そのものじゃなく、 

守屋山の中腹だって!

そこには、でっかい要石みたいな磐座があって、それは饒速日のなんとかって言われてるってこと。 

 

驚いた!

本当に驚いた。

 

守屋山といえば、ほんと数年前に「界隈で」騒然となったところ。封印を解くとかなんとかの話。

 

 

ま、こんな感じで

後から後から、どんどん繋がっていくのよねえ、宿題の謎解きが。

この手のことは、そういう風にしか解明が進まないものだけど、それにしても驚いたの。

 

諏訪も再訪しないとだなあ。

 

 

最後のプチ驚きは、記事の最後に出てくる丸に三柏の家紋。

これ、物部守屋の紋なんだって。

うち、母方の家紋、これだよ。 

 だからなんだっていうオチでおしまい。

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