arrow-right cart chevron-down chevron-left chevron-right chevron-up close menu minus play plus search share user email pinterest facebook instagram snapchat tumblr twitter vimeo youtube subscribe dogecoin dwolla forbrugsforeningen litecoin amazon_payments american_express bitcoin cirrus discover fancy interac jcb master paypal stripe visa diners_club dankort maestro trash

Carrinho de compras



人はこれほどまでに変化するものなのか、という感慨と負の仕組み


人はこれほどまでに変化するものなのか、という感慨と負の仕組み


あけましておめでとうございます

 

例年どおり大晦日から実家に行き、先ほど戻ってきた。

昨年は喪中のため正月行事はナシゆえ、わたしはゴールドコーストに飛んだ。

そして今年は非常に感慨深い正月になった。いや、ほんとうに。わたしは生まれて初めて、「良い正月」「穏やかで、楽しい正月」というものを味わった。生まれて以来、初めてのこと、だよ、実際。

 

 

わたしにとってこれまで正月は、家族揃っての御節〜団欒と、「どうせ嫌な気分になる」とわかっていながら「今年は違うかも」と、それなりの覚悟と期待をもって望む年中行事だった。そして、例外なく嫌な気分になって「またか、、、」というのが常だった。

 

我が家は、これ系の行事は比較的きちんとする家だと思う。

祖父が亡くなってからはだいぶ簡略化されたものの、それでも御節などはそれなりのものを用意するのが通常だった。

この10年は、御節選びはわたしの担当だったから、それなりに「それなりの料理屋のもの」を選んで調達していたわけだが、母がそれに満足した様子を見せたことは一度もなかった。

必ず、その場面でその言葉が出るか!という、どうでもいいイチャモンをつけては空気を悪くさせ、父がそれを諌める、ということが「常」だった。

その料理屋では気に食わないのかと、別な「それなりの料理屋」のものにしても文句は出る。挙句に「前回の方がまだマシだった」などと言う。

 

お屠蘇を交わす時はもっと最悪で、「今年一年が良い年でありますように」「健康でありますように」「仕事がうまくいきますように」などと声を掛け合いながら盃を回していた子供時代は何だったのか?と思うほど、母は必ずぶすくれて、意味のない悪態までついたりしていた。

そんなことは「ただの一例」に過ぎず、それもんのことが延々と続いていくのが「常」だったし、だいたい、わたしは心理的に嫌な思いをするだけではなく、寝泊まりするので頭が激しく痛くなる、などの身体的苦痛にもたびたび苛まれていた。

御節以外にもたくさんの料理を母は用意するわけだが、料理上手な彼女のその味が、どんどん冴えなくなっていたことも気になっていたし、

父にとっておそらく最後の正月になるであろうことが予測された一昨年でも、母の態度は激化する一方だった。

 

まあ、そんな異常さのおかげで、わたしは家(土地)に問題がある!と確信を深めることになったわけだが。

要するに、「現象」は、解消されるまで、しつこく現象として発露するし、激化していく仕組みになっている。

 

 

それらがすべて解消された今年は、何もかもが違っていた。

母の幼馴染でやはり未亡人であるオバハン友達も泊まりに来ていて、わたしは多分、「生まれて初めて」終始なごやかで笑いの絶えない数日間というものを過ごした。

生まれて初めてだ。

 

何より驚いた(といっても、もはや驚かないわけだが)のは、「除夜の鐘を突きに行こう」と母が言い出したことで、

これまでわたしは12.00とともに近所のお寺で鐘をつき、そのまま歩いて鶴丘八幡宮へ初詣に行く、ということが恒例だったわけだが、どんなに誘っても寺に行くなどとは言わなかったし、初詣なども聞いたことがない。ちなみに、お寺なんて徒歩10分に数カ所ある。

もちろん、今年は疫病騒ぎのせいで除夜の鐘をみんなが突くということはどのお寺もせず、僧侶が突く鐘を聞くことになるわけだが、それでもいいの?と尋ねたら「お散歩だから行こう」と、一緒に行った。

そして「明日の昼間に八幡さまに行こう」と言ったら、素直に「そうね」と言い、実際行き、「正月に八幡さまなんて何十年ぶりかしら」と境内でキャッキャし、屋台のたこ焼きを「一度食べてみたかった」と言うので買い、食べては美味しい、と言う。

 

彼女は、決してそういう人ではなかった。

 

 

「負の情報」が抜けると、人はこんなに変わるものなのか。

 

 

さらに今日は今日で、「そうだ、氏神さまにもお参りに行こう」と言い出して、これには心底驚いた。

氏神さまというのは近所の八雲神社で、当然スサノオ(=牛頭天王)が祀られており、我が家の土地の旧名は「天王屋敷」であり、牛頭天王関係の禁足地のようなものだった(らしい)のが、遠いいにしえの話なわけだ。

わたしが促したわけではないのに、母が自ら「お散歩」と称して行こうと言い、とはいえ特に信心深いわけでもないから、お参りといっても「行くだけ」なわけだが、境内から見える富士山に心洗われた。

 

そして、以前から、直さんに「猫が来たら完了」と言われていた我が家には、数ヶ月前から三毛猫がご飯をねだりに来るようになり、母は手懐けようと毎日餌をやり、今日はいつもの猫の他に、白い猫までもが現れたと言っていたがわたしは寝ていたので見ていない。

子供の頃から、我が家は猫の通り道で、いろんな猫が往来し、家にも必ず数匹暮らしていたが、最後の猫が死んで以来、1匹も姿を見ることがなく、今に至っていた。

 

ともかく。

母は元気で正月の準備を一人でこなし、幼馴染と2人でバアさんらしくギャアギャア言いながらよく笑い、少女のようだった。

 

わたしは何もかもがありがたいと思う。

本当に、何もかもが、だ。

 

 

だから、マリアグリッドの「効力」がどう、という話以前に、いつも繰り返すが、「人の性格」なんて、どこからどこまでが「性格」で、どこからどこまでが「外部情報」なのかわからない。

わからない、というよりも、わたしの確信では9.5割は「外部情報」に過ぎない。人というものは単なる器、単なる「いれもの」であって、その内部と思われてるものには「情報」が詰まっている。

しかも、それはあくまで内部ではなく肉体の「外部」なのだ。これらの情報は常に肉体の外部にあって、肉体に影響を及ぼす。ややこしいけれども、この言い方でしか説明がつかない。

 

人が「自分」だと思っている要素なんて、本当に微々たる微々たる、ビビビビビぐらいのものでしかない。

善なる情報、正なる情報に共鳴するか、負なる情報に共鳴するかだけのことで、負の情報への共鳴が長引けば「ネガティブな人」になるし、その度合いが深ければ、しまいには人は「負」に乗っ取られる。わかりやすく言えば人格をジャックされるわけである。

 

だから人は、負の情報を払拭する、負の情報とのつながりを切断すれば全然、すぐにでも変われるし、可能性なんていくらでもある。

自分自身や、親兄弟や配偶者といった周囲の人間に対する「決めつけ」と「思い込み」の枠を外して、「真の原因は他にある」ということに、多くの人に気づいて欲しい、と心から思っている。

 

ちなみに、一般的に「霊障」であるとか「呪い」?とか「祟り」みたいなものもわたしに言わせれば全て「情報」である。

「霊」というのも、つまり「情報」だ。人間界で言う「悪い」ものも「良い」ものもある。

負の情報が解消されなければ、それはいつまでも地上に残り、人のライトボディに侵入して干渉する。解消されずに積み重なっていけば、それは「因縁」となって、代々同じことが繰り返されたりする。

それは「因果な縁」でもあるし「隠れた念」でもある。縁も念も「情報」だ、というのがわたしがたどり着いた解である。

 

誰にでも、承認欲求があるのと同じで、念というものは解消されたいのに誰も気づいてくれないから、ますます現象化を強めて気づきを促す。

だからその現象自体を忌み嫌い、隠したり、回避したりすればさらに激化するよ、ってことになる。

 

ともかく、「何かが変だ」ともし気づいたなら、それを打ち消さないことはとても大事だと思う。

「太陽で生きる」と決めたみんなにとって、今年が少しでも「軽い」1年になりますように。

 

 

今年は、そんな負の仕組みについて、わかりにくい話を少しでもわかるように書いてみたいと思っています。

 

ではまた!