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分析と妄想は違うもの。妄想は《感情》による支配 #感情支配


分析と妄想は違うもの。妄想は《感情》による支配 #感情支配


クライアントと接していて、「分析」と「妄想」は違うものですよ〜ってことを、どのタイミングで、どのように伝えるのがいいのか、悩むことがある。

分析癖がある、と自認するKKさん(仮)なんだけど、それは分析ではなく、自身の脳内で創造している「妄想」。とめどない妄想on妄想を爆走させながら、「過去の亡霊」である嫌な記憶をイマココに蘇らせては憤慨を爆発させる。

こうなると、感情スイッチがオンのまま、オフにする術を知らないというシンプルな構造に気づくことが難しい状態です。

例でいうと、過去にBBさん(仮)から受けたSNS上でのマウンティングについて、「事実」(=起きたこと)と「妄想」(=脳内)を混同して語るので、解決したいのか、怒りを吐き出したいのか、わたしに一緒にBBさんを批判して欲しいのか、本人もわからなくなっちゃうんだろうと見た。

脳内の妄想の根底は強い被害者意識で、「自分はこう思われている」が常にあり、そこで「かわいそうな自分」が出てくるのですが、本人は気づきません。

 

ちょっとした理性によるスキ、つまり息継ぎのタイミングがあれば、「ドードー」ってなるんだけれど、妄想を語りだしたら一部始終を気が済むまで語らないと気が済まない。そんなタイプって一定の割合で、いらっしゃいます。

「タイプ」っていうのは、何につけそういう傾向がある方のことだけれど、実は我々だってそういう「状態」になる時があります。これを書いているわたしにもあります。

それが「負の壺」と負の仕組みなんですけれど、ただ、やっぱり「理性」なんです。

「あ、やべ。これ「負の壺」と繋がっちゃってるわ」と思えれば一瞬でも脳内を黙らせることができる。

でも、そのためには、「負の壺」とわたしが称しているものが存在するよ、その感情は「あなた」の内部にあるわけではないんだよ、切り離せるんだよ、、、ということを、理解や実感としてはわからなくても、知識として持っていることがキモになります。

 

で、

この《感情》に支配される仕組み、って、一体なんだろう?

最近、自分の中で、断片が繋がってきた気がしてるんですよね。ちょっと納得行きつつあるので、シリーズで少し堀り上げてみようと思います。

 

この件、何かピンとくる方は、こちらのセッションでご相談ください。まずはお話を聞きます。

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