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「ジャッジを手放す」の真の意味と、思いは通じる、という話

「ジャッジを手放す」の真の意味と、思いは通じる、という話


前回の記事にも共通する話なのですが、よく誤解されている「ジャッジを手放す」ことについて書いておきたいと思います。   緊急で!とご相談いただいたBさんも、やはり親の看病問題からの姉妹関係の悪化がテーマでした。 お母様が重篤な状態にあり、在ヨーロッパで「コロナ帰国中」の妹氏が付き添っていて、姉のBさんへの当たりが強く、普通の会話が成立しない😢 という、前記事のAさんと非常によく似た状況。 こちらのご家庭も、過去に色々とあったことから、姉妹それぞれが、「人に依存せず、自立して頑張る」という道を歩まれ、誰かにうまく甘えたり頼ったりすることができない、例えそれが姉妹であっても、いや姉妹だからこそ、、、という状態ができていました。   人は誰でも人生には、自力だけではどうにもならないこともありますから、誰かを頼りにしたりされたりの互助が大切ですが、現代社会ではなぜかそれが難しいことになっていますよね、、、、「自分」と「他者」の境界線がビッチリ引かれています。。。   ともかく、 理性的に物事を考えられることは美徳だし、常に冷静さを保てることは混乱時には武器にもなります。 しかしこの世界が理性だけで動いてはいない以上、世の中には理不尽なこと、理不尽な行動、理不尽な感情がうじゃうじゃ存在しています。当然わたしたち自身の心の中にも、それが存在しています。 あまりに理詰めが習慣づいてしまうと、今度は自分の感情とうまく折り合いをつけられない、「自分の中の理不尽さ」を受け入れられなくなってしまいます😢 自分の理性が自分の感情と戦っている状態になってしまい、2つの自分がバトルしているようなもの。自己内分離です。だからどっちが本当の自分なのかわからなくなってしまう。 ゆえに「自分の心の声を聴く」みたいなことが難しくなってしまいます。   しかし、ここをまた「どうしてそうなった、、、」と原因を考えて振り出しに戻る、というトラウマすごろくから脱出するために、 人生も40を超えると、多分、「それまでのやり方(クセ)」ではカバーできないことが出てくるものじゃのう、、、、 そんな風に考えて、原因探しよりも「次に目を向けるべきこと」を探すのが、次のステップ。ある意味通過儀礼だと捉えれば気が楽です。  ...