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群馬と物部〜葦原中国とはどこなんだ?


群馬と物部〜葦原中国とはどこなんだ?


マニアックな視点で群馬が気になる。

 

先週のこと、ナニゲにおすすめに上がってきたこちらを見ていたら、

翌日なぜか群馬の友人から「紅葉見に来ないか」と一報が来て、本当に♪どこかでどこかでエンゼルが〜♪見てるんじゃないかとキョロキョロしてしまいました。

速攻で伊香保温泉に行くことになったものの、不測の事態でキャンセルとは相成ったけれど、こういう偶然はなんだか嬉しい。

 

 

群馬。

馬の群れと書いて群馬。古代では軍用馬の飼育が盛んだったと思われる。

ほとんど東北の入り口であって実は重要な古墳群を有する、かつては東国の中心だったわけで。

 

ちなみに、それを言うなら埼玉も同様に気になる。

最近まで意識を向けたことさえなかった氷川神社。これがあるから地名が「大宮」だったわけで、かつ氷川神社っていうのは埼玉に異常に多い。

行田市の稲荷山古墳というところから出てきた鉄剣と合わせて、この「真っ平らな関東平野」に何があったのか。

真っ平らだからといって何もなかったことを意味していない。

最近になってかなりフムフム、、、、という推論がわたしの中で持ち上がってきているので、いずれzoomで発表しようと思ってます。みんなに聞いてほしいです。

 

で、群馬。

貫前神社という上野国(コウズケノクニ)一ノ宮。

http://www.nukisaki.or.jp/index.html

 
創立は社伝によると鷺宮(さぎのみや:現在の安中市)に物部姓礒部氏が氏神である経津主神(ふつぬしのかみ)をお祀りし、次いで鷺宮の南方、現在の社地に社を定めたのが安閑天皇の元年(西暦531年)とされてます。

 

やはり物部。

軍用馬を量産していたのは物部。

 

かつ、わたしが気にしているのは「フツヌシ(経津主神)」。こちらの御祭神で、神社のサイトにもけっこうつっこんだ記述がある。

建国の祖神
物部氏の氏神
刀剣の神
武道の神
経津主神は『日本書紀』などの国譲りの場面で神名がみえ、葦原中国(あしはらのなかつくに:日本の異称)平定に功績があったとされています。
『日本書紀』のみに登場し『古事記』には登場しない神で、香取神宮(千葉県香取市)・春日大社(奈良県奈良市)・鹽竈神社(宮城県塩釜市)に祀られています。
また、布都御魂(フツノミタマ)を祀る石上神宮(奈良県天理市)は物部氏の奉斎する神社であり、なおかつ武器庫であったとされていることから、日本神話のなかで争ったという諏訪の神・建御名方神への抑えの武器庫として、当地の物部姓を賜った石ノ上部(イソノカミベ・礒部氏・磯部氏)によって貫前神社が創建せられたとも考えられます。
「刀剣の神。霊剣フツノミタマの神格化したものという説がある。藤原氏の祖神の一つ。葦原中国平定のため、タケミカヅチを従えて天降りするなど、事蹟はタケミカヅチと重なる部分が多いが、『出雲風土記』『出雲国造神賀詞』では天降りするのはフツヌシのみであるところから、武人物部氏の祭神であったフツヌシが、中臣氏の台頭によりその神格を次第にタケミカヅチに奪われたものと思われる。」『神道辞典』

 

 

で、フツヌシといえば、香取神宮。こちらも、鹿島と並んで東北への入り口。

藤原勢がうまいことやって由緒を我がものとしたわけだが、元は物部。

 

で、そのフツヌシの「フツ」とは何かという話。

「フツのミタマ」がなぜ石上神宮のセンターに祀られてるのか。

ここで徐福伝説を思い出す必要があって、徐福とは日本でジョフクと呼ばれているわけだが、本来彼の名前は徐市と書いて「ジョフツ」。

徐福はつまりニギハヤヒなのではないか説と繋がる。

 

では葦原中国(アシハラの中つ国)とは一体どこなんだ?という話。

徐福は「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかった」と言われているわけでね。

 

平原広沢というものがすなわち、大宮なんじゃないの?それが氷川神社なんじゃないの?

という説。

もろもろ鑑みて、それはそれで納得できる。

 

群馬には、以前も紹介した「名草巨石群」という、実に奇妙な場所があり、名草と言えば、名草戸畔につながるのだが、名草戸畔は紀州のお話とされている。でも本当にそうなのか?

名草戸畔https://amzn.to/3MYj5j8

 

 

地方のことをもっといろいろと知りたい。

いろんな地方出身の人が、自分の地元のことを「何もないところ」のように言うことが非常に残念だし悲しい気持ちになる。

ビルが並んでいる町は「都会」かも知れないが、それがすなわち「何かあるところ」なんかではない。どんな土地も「何もないところ」なんてあり得ない。

みなさんそれぞれ、自分の生まれた土地のことを遡ってよく知ってほしいし、それをたくさん教えて欲しいとわたしは思っている。

「知る」ということはとっても大切なことだと思う。

 

 

 

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