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人はこれほどまでに変化するものなのか、という感慨と負の仕組み

人はこれほどまでに変化するものなのか、という感慨と負の仕組み


あけましておめでとうございます   例年どおり大晦日から実家に行き、先ほど戻ってきた。 昨年は喪中のため正月行事はナシゆえ、わたしはゴールドコーストに飛んだ。 そして今年は非常に感慨深い正月になった。いや、ほんとうに。わたしは生まれて初めて、「良い正月」「穏やかで、楽しい正月」というものを味わった。生まれて以来、初めてのこと、だよ、実際。     わたしにとってこれまで正月は、家族揃っての御節〜団欒と、「どうせ嫌な気分になる」とわかっていながら「今年は違うかも」と、それなりの覚悟と期待をもって望む年中行事だった。そして、例外なく嫌な気分になって「またか、、、」というのが常だった。   我が家は、これ系の行事は比較的きちんとする家だと思う。 祖父が亡くなってからはだいぶ簡略化されたものの、それでも御節などはそれなりのものを用意するのが通常だった。 この10年は、御節選びはわたしの担当だったから、それなりに「それなりの料理屋のもの」を選んで調達していたわけだが、母がそれに満足した様子を見せたことは一度もなかった。 必ず、その場面でその言葉が出るか!という、どうでもいいイチャモンをつけては空気を悪くさせ、父がそれを諌める、ということが「常」だった。 その料理屋では気に食わないのかと、別な「それなりの料理屋」のものにしても文句は出る。挙句に「前回の方がまだマシだった」などと言う。   お屠蘇を交わす時はもっと最悪で、「今年一年が良い年でありますように」「健康でありますように」「仕事がうまくいきますように」などと声を掛け合いながら盃を回していた子供時代は何だったのか?と思うほど、母は必ずぶすくれて、意味のない悪態までついたりしていた。 そんなことは「ただの一例」に過ぎず、それもんのことが延々と続いていくのが「常」だったし、だいたい、わたしは心理的に嫌な思いをするだけではなく、寝泊まりするので頭が激しく痛くなる、などの身体的苦痛にもたびたび苛まれていた。 御節以外にもたくさんの料理を母は用意するわけだが、料理上手な彼女のその味が、どんどん冴えなくなっていたことも気になっていたし、 父にとっておそらく最後の正月になるであろうことが予測された一昨年でも、母の態度は激化する一方だった。  ...