arrow-right cart chevron-down chevron-left chevron-right chevron-up close menu minus play plus search share user email pinterest facebook instagram snapchat tumblr twitter vimeo youtube subscribe dogecoin dwolla forbrugsforeningen litecoin amazon_payments american_express bitcoin cirrus discover fancy interac jcb master paypal stripe visa diners_club dankort maestro trash

Shopping Cart


UNIVERSO AO MEU REDOR — Daily

気になる星田妙見宮。だから行ってみる!

UNIVERSO AO MEU REDOR

気になる星田妙見宮。だから行ってみる!


先日、何がどうなって、そうなったのか、とにかく発見した、大阪の 「星田妙見宮」     当宮の縁起によりますと平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810~824年)に、弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、3ヶ所に分かれて地上に落ちました。現在もこの伝説は当地に残っており、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、もう一つが、この星田乾にある降星山光林寺境内、そしてもう一つがこの当宮の御神体であると伝わっています。後に弘法大師は当宮の地に赴き、大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」としてお祀りされました。後世には淳和天皇、白河天皇、後醍醐天皇を始め楠木正成、加藤清正以下、農民にいたるまで崇敬を集めたと伝わっております。これらの由緒は平安時代貞観17年(875年)の『妙見山影向石縁起』並びに江戸時代に書かれた当宮の縁起書に記載されています。                     なぜ、ここにぶち当たったのか、考えれば考えるほど不思議だ。 うろ覚えに「そういえば、大阪に妙見神社があったよな、、、」と検索してヒットした。 ところが、その後調べると、実は大阪にはもう一つ有名な妙見宮があって、そちらは日本三大妙見にカウントされているらしい能勢妙見。大阪の北側にある。 どう考えても、そちらに先にたどり着きそうなものだが、なぜかわたしが「連れて行かれた」のが星田妙見で、星田は空海。能勢は日蓮。   そしてもし日蓮さんの方に行っていたら、妙見菩薩の絵は猛々しいオッサン像で、 わたしはここからインスピレーションを得ることはなかった。        そして、すぐ東側が生駒であるこのエリアの地図をゲキ見して、かなりの衝撃を得ている。 まず「妙見」は北極星および北斗七星だが、「磐船」という地名があり、駅名にもなっている。実際「磐船神社」という凄まじい磐座だらけの場所があり、周辺には「天の川」という川が流れていて、少し離れた場所に機物(はたもの)神社という、織姫を想起させる神社もある。 だいたい、市の名前が交わる野と書いて交野(かたの、と読むそうだ)。...