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「コンフォートゾーン越え」についての話(5)
続いていきます。
振動数が上がって、エネルギーが安定してくると、自分の「コンフォート」はどんどん変化してくるよっていう話をしました。
でもここが微妙なところで、精神的な意味での理解(過去の自分超え)から、実際のDO(具体的にアクションを起こす)の段階になると、超えたと思われていたことが、超えられていなかった現実に直面したりします。
むしろ、誰しも恐れから「変わらない方へ」着地させる脳が働くので、「やっぱ自分はこのままでいいんだ」系の理屈をこねくり始めます。
これは極めてフツーなことだと思います。
でも、そこでそのまますっこんでしまうと、「やれなかったことへの正当化」という、無自覚から自覚が発生しまうので、これまた厄介です。
この「自覚」が負の発生そのものだからです。
こういう時の恐れは、恐れにきちんと目鼻がついてしまうので、漠然とした恐怖ではなくなり、かなりまじビビります。
自分一人で超えなくてもいい。むしろ人の手助けが必要
なんでそう言ってるかというと、実体験として超えてきたからわかるのです。
わたしの場合は、「わかった(超えた)」と理屈上思っていたことを、
「ですよね?わかってますよねー、では●●してみましょう」と、シレッと人からアドバイスされた時に直面しました。
「え・・・・!!!」
(・・・・・いや、そうだよね、そりゃ、そういうことになるよね。わかってますわかってます。でも、それってさー、いやーーそれってさー、、、、。うん、でもそうだよね。確かにその通りなんだよ。いやー、でもさー、、、
以下ループ。リフレインが叫んでる!)
いやー、この気分悪さと言ったら半端ねーや!
そこで思った。
自分で思っているコンフォートゾーンなんて、コンフォートゾーンではなかった!
かーーーーーーーーー。
だけど、このアドバイスをくれた人は信頼できる人。
エネルギーのことも、脳の仕組みも、れっきとしたビジネスも、ちゃんとわかって自ら実践してきてる人で、本職がコーチだからアドバイスのプロ。
わたしは、なまじ理論上(左脳上)理解できていたので、ここは自分の恐れと戦わざるを得ない状況でした。
つまり誰のせいにもできない、とはっきり知覚した上での
行くのか、行かないのか
進むのか、進まないのか
IT'S ALL UP TO ME じゃんか!!!!
かーーーーーーーーー。
かなーーーーーーーーーり嫌な気持ちでしばらく過ごし、流石にもうだめだ、と思ったので
「嫌だ。やっぱ無理だわ。無理。わたしビビってるもん」
と言いました。
その時言われたのが、
「だからいいんですよ!
ビビりがなかったらどうにもならない。ビビりがあるからこそ一気に超える。
しのごの考えずに、やればいいんですよ!」
だったわけです。
そもそもわたしは、ガタガタあーでもないこーでもないと考えている時間が嫌い。
考えれば考えるほど、振動数が落ちるってこともわかってた。
うん、じゃあ、とっととケリをつける以外にない。
ビビっている自分が好きか、ビビっていない自分が好きか、要はそれだけですから、
もう言われた通りにさっさとやって、あとはそのことについてもう考えない!
という戦法(笑)を取ることにしました。
で、結果は、マリアグリッドの誕生。
ナウの自分。
です。
ここはこの「結果」だけ書いても伝わらないわけですが、書くのがめんどくさいので直接お話できたらと思っています。
実際的なアドバイスに必要不可欠なもの
で、わたしは現在、本気でコンフォートゾーン超えに取りんでいる人たちの伴走をしていますが、 超え方は人それぞれです。
ある人は、超えるに際して、実際的なこと、つまり「実務」がわからない、ということが恐れの正体だったので、実務を徹底的に伝授しました。
つまり「絶対超えられるよー♫」という言葉だけでは、
だからどうやって超えたらわかんねーから悩んでんだよ、バカ!
という話になります。
この人は、自分でものを作れる人なので、それを「売れる状態にして開示する」ということが課題です。
で、大事なのは、
わたしたち誰も、
そーゆーことの実務について、誰からも教わったことがないから知らない
のです。ただ単に知らないだけ。
知らないんだから、できないのは当然だとわたしは思う。
なので、知らない、できない、ということに劣等感を持ったり、忌避感を持つ必要はどこにもないのです。
プロセスを知って、わかれば「な〜んだ(簡単じゃん)」ってことになる。
だから大事なのは、
自分が何を知っていて、何を知らないのか、をつまびらかにすること、な訳です。
繰り返しますが知らないことを恥じる必要性はどこにもありません。
もし、それ(知らない)を恥ずかしいと思うなら、それはあなたの中の「完全主義者なあなた」が、心の中でなんか喚いてるに過ぎないので、かまわず無視して「知る」に向かいましょう。
それから、物理的にというか、スキル的に「できないこと」と同様「できること」「頑張れば得意と言えるようになるまでもっていけること」もたくさんあるわけで、今すぐそのスキルがない人は、そこは人のサポートを仰ぐことにして、自分のスキルの範囲を特定する、ということも大切なことです。
人間は意外と「な〜んだ」さえ得られれば、スキルの範囲が広がったりするものだし、そこは取り組む価値がない、とすれば、「人に任せていくことで全体を仕上げれば良い」と発想を切り替えれば良いのです。
要は、「トライして、達成する」がゴールなわけで、そのプロセスの中で、幾つもの「な〜んだ」を得ることが大事です。
もう一人は、実務面はほぼ完璧にスキルのある方で、でもなぜか自信がない。
何が原因かわからないけれど、何をしていいかわからない、という状態。
こちらは自分が何かアクションを起こすことによって、人からの反応を想像して恐怖を感じる、というメンタル面での課題がわかってきました。
そこで、その恐怖原因がどこからきているのかを探るために、日常のあらゆるところで感じる「恐怖というもの」に焦点を当てて、深掘りしていってもらってます。
これは、書き出すという行為に効果があり、誰にも見せる必要のないところで、向き合い、つまびらかにする、という作業ですが、一旦出始めると、その後は掘り出すこと自体に恐怖を感じなくなる、という「な〜んだ」を少しずつ体感されているようです。
いずれにせよ、何かを克服するために大事なのは
さしあたって具体的に何をするのか
を提示することなんじゃないかな、とわたしは考えています。
「怖い」はさまざまなところに、実は隠されていて、
全ては「過去の出来事」に起因しているわけですが、
人間は未来を見るときに過去の残像を未来に当てはめがちな特性があるだけのことで、それも幻影なわけです。
『鬼滅の刃』に出てくる「精神の核」を破壊すれば人は簡単に支配される、という話はそのまま現実のことで、トラウマを大切にすることは負に支配されている状態。
考えれば、そのトラウマティックな出来事だって、負に支配された相手によって受けた傷かもしれないですし、その時の自分も負の支配を受けていて、物事の受け止め方が「負」に傾いていたのかもしれないです。
それほど負というものの正体は強力で、あらゆる方法で我々を蝕みます。
グリッドを組むことはそういうわけで、日々できるクリアリングとしてすごく有効だと思う。
まあ、何れにせよ、今の自分に何かモヤモヤする、ということは、あなたの魂は死んでいないってことの発露でもあります。
だからこそ、自分の太陽を獲得することは素敵な価値があります。
「山を登って次の世界を見る」は簡単ではないけれど、そんな景色はいいもので、登った人にしか見れません。
勇気が湧き上がってきたら、次行きましょう!
ではまた!