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お金と虚栄心、あるいは貧しさ、、、からの解放
こんにちは。
今年も残すところ100日ぐらいですよ。今朝、今年も残り100日ぐらいか〜と、なんとなく今年の自分を振り返ったら、自分にとっての「脱皮」(←巳年だからね)はそういうことだったのかな〜という、おぼろげだけれども確かな感覚を自覚した、って感じなんですよ。
あらためていうと、わたしの人生は常に
「この世界は一体どうなっているのか」
という仕組みの理解、とめどなく湧き出てくる「なぜ、どうして」の問いを合点がいくまで探求、考察することに意識が向いてきました。
「はっはー、そうか!」と腑に落ちたらそれは喜びだし、きちんと理解できたなら人サマに応用できる。つまりクライアントの課題解決、苦しんでいる人に脱出のヒントを提示できる。
けれどもそれ(人サマへの応用=提供して、対価をいただく)はあくまでも二次的なことで、対価という報酬を得るためにがんばる!褒められたいモチベーション!というようには、わたしのバーイどうしても意識が向かないのです。
現世界、生活のために報酬は必要ですが、報酬のために生きているわけではない。自分には、自分にしかわからない喜びの方が、栄養価が高いのです。
で、今年はエネルギー世界の探求や、古代叡智の解明といった、いわばわたしにとって「実利的」(一般的にはそれを実利とは呼ばないでしょうけれど。しかしこの世界、肉体と感情を持った人間がもがき苦しむ、あるいは苦しめ合うことの解決はエネルギー世界の絡まりを解くことで解決されますから、それは実体を持った確かな「利」です)、
なことよりもまったく別な側面での
「この世界は一体どうなっているのか」
を知りたくてたまらなくなりました。
言い換えると、我々は誰によってどういう風に支配されているのかを淡々と知っておきたい、という欲求です。別に怒りでもない、ただ単に「どうなってるのか」知りたいっていうだけです。
この世界というのは織物のようなもの。縦糸と横糸が幾重にも重なってできている。
見える糸もあれば見えない糸、見えないように仕向けられている糸、わざわざ目立つようにされている糸、というのもあります。
見えない糸には潜象界と現象界の両方の意味があります。
わたしはそのすべてが意識の「誘導」だと感じています。つまりこの世界、この宇宙の本質からは遠いところに作られた仮想現実のようなもん。
それを「現実」と呼ばされている。
で、今の今、我々が見せられている事象の源流、起点となっていることは、どこにあるのかを知りたくなり「最近の歴史」を知ることにしました。これが存外おもしろい。
とりわけ、世界が「全体戦争の時代」に突入した江戸後期から今この時に到るまで。
明治以降、日本も巻き込まれた二度の大きな戦争を経て、我々が実感として知覚できる「子どもの頃」なんかも含む歴史は、すべて「お金の仕組み」であり、そこに乗っけられた「思想史」でもあります。
特に戦争に負けた日本は、物の見方や考え方をすべて変えられ、自力で考える力や先人たちが紡いできた知恵、動物的な本能・生命力も赤信号になっています。
しかしここを掘ると出てくるのが、いわゆるナショナリズム的なものも含む「思想誘導」の問題です。
日本はすべての中心だった、とか、戦前の日本は素晴らしかったので世界が恐れた、とかの論調も然り。思想対立も「仕掛け」なんですが、インフルエンサーと呼ばれる人たちの動画を見てもすべて 「誘導」でしかないです。
なので、「淡々と」事実だけを見ることが大事になってきます。
だって、調べていくと極右も極左も同じ出どころ(その話はzoomの近代史講座で)。
またいわゆるスピリチュアル講師といったセミナー稼業の人たちも、結局はその先にある着地が「稼げる/稼げない」だったり、目覚めを自認している人たちの自己証明が「いくら稼いだ」だったりして、まあそれはそれで悪いとは思いませんが、なんていうか、、、、結局着地がそんなもん=「お金」でしかないのかよwと思ってしまう自分もいます。
だって本来は目覚めの着地点はそんな簡単ところではないはず。
しかしこの近代に何が起きていたのかは、おもしろいけど決して「楽しい話」でもないのでキャッハー!とはいかないですが、そして語られないこと「しか」ないんだなとわかって、ハーーーーーー、なんと巧妙なことか!と思うわけなんですが、怒りとか憤慨などではなく、ただただ「すげえな、そりゃ語られないわけだわ、、、」と思うわけです。
この世界はとにかく誘導されるようにできている、ということが身にしみてわかった今は、なんというか、だいたいいつも同じ振動数を維持していられます。
乗せられないし、乱されない。
しかし人々は、この「仕掛け」にまんまと乗っかってしまっている。
正しいだの正しくないだの、勝っただの負けただの、被害だの加害だの、傷ついた傷つけられた、バカにしたバカにされた、、、、
しかしもっとも大きな仕掛けは「お金」だと思います。
お金、お金言えば言うほど、心は貧しくなる。
または本当はお金が欲しいのに、それを言えないことで余計な摩擦を生む。
欲しがることは悪いことではないんだから、お金が欲しいなら得る努力をすればいい、というと「必死に働く(労働)」「スケジュール詰み詰みの忙しさ」が美徳だと勘違いしたりとか。
あるいは努力(リスクも含めて)はしたくないから、お金を持っている人を逆にサゲてみたりとか。。。
それってつまり「 貧しさ」じゃないですか。
そういう精神性は、誰もが孕んでいるわけですよね。で、お金って人間関係でもありますよね。
しかし本当は、気づいてる。多くの人は気づいてる。なんか変じゃね?って思ってる。
そう、わずかなお金ごときのために、何かをかき乱されるなんてね。
な〜んか、今年はそんなお金をめぐる感情=人間関係に関わる感情から、自分はちょっと離れたかな、という気がしています。
そういう事象に見える、何かもっと根本的な変化かもしれません。
それが脱皮なのかもしれないなーと。まだわかりませんが。
でも、なんかそのことに気づいたら、この先の展望もまたちょっと角度を変えて見ることができそう、、、、とも感じてます。
この話しばらく書いてみようと思っています。