arrow-right cart chevron-down chevron-left chevron-right chevron-up close menu minus play plus search share user email pinterest facebook instagram snapchat tumblr twitter vimeo youtube subscribe dogecoin dwolla forbrugsforeningen litecoin amazon_payments american_express bitcoin cirrus discover fancy interac jcb master paypal stripe visa diners_club dankort maestro trash

Carrinho de compras



エントロピーと人類の分岐点


エントロピーと人類の分岐点


昨日こんなことがあったので思わずFBに書きました。

 

本日今しがたまで、このまま生きながら死ぬかと思うほどの(ってなにそれ?だけど)強烈な眠気が来たので、信用できるセンサー感度の友人に聞いてみたところ、みんな「特に眠くない」と言う。
てことは地震の心配はないかなってことで、謎だったんだが、原因が今わかった。


イモ子2号が、サナギに変容してたんだ。


まさか!と思うでしょう、信じられないでしょう。でも、そうなんです。
これはお能でいう「翁」みたいなもの。
場の空気を変えるというか、時空間を歪ませるというか。要するに「幽玄」。

姿を変えるという現象は、そりゃもうものすごいものを発します。
こんな小さな虫一人でそんな影響あるのかって思うでしょ。
でも、そうなんだから、そうなんだよ。観念じゃないよ、体験から言ってます。


サナギからちょうちょになる時より、イモ子から蛹になるときの方が凄い。
イモの皮を脱ぐからね。その際にものすごい細かーーーーーい振動を発するのでしょう。

 


てことは。
人間が本気で意識変容=覚醒したらどうなる?
それが一定数いたらどうなる?


時空間変わるんだよ。
それが地球の次元上昇と共鳴するんだよ。
、、、そういうことなんだよ。今やるべきは。
そんな分岐点。

 

 

で、今朝、しみじみ考えてみた。

 

昔、アゲハは「常世の虫」とされ一種の信仰があったわけですが、

それはヒラヒラと舞うちょうちょが「霊魂を運ぶ」とか「魂の乗り物」だとか言う観念的なこととは違って、この、イモムシからサナギに姿を変える際に発する途轍もない「幽玄エネルギー」(わたしの造語です)のことを指してたのではないかと。

zoom配信ではいつも言っていますが、昔の人は現代人よりはるかにセンサー感度が高かった(理由は、当時の人の松果体は今よりはるかに大きく機能していたはずで、縄文より衰えたと言っても、今に比べたらはるかにテレパシックな能力は高かったはずだから)。

それゆえこの幽玄エネルギーの影響を受ける人が続出したのだろう。この幽玄こそが、この世と常世の境、あわいにある世界。 

 

キャタピラという足を持って地面を這い、木に上り、葉っぱを食べ、固形の糞を輩出し、大きくなり成長することがエントロピーの増大であるわけだが、

一定の地点に来ると、動き回ることをやめ、体からほとんどの水分を排出し、肉体情報を捨てて増大したエントロピーをリセットする。

つまり小野田智之さん風に言えば、この虫は自らの肉体を持ってセルフ蒸留=錬金術をしているわけだ。

錬金術とは情報の初期化。不純物を取り除いて本質のみに純化させること。

実際に、この純化の極みに達した物質が、イモムシから蝶へ、地を這う姿から空を舞う姿へと肉体を変える、最も強力で本質的な力を持つ。

この情報の初期化の際に、とてつもないエネルギーが放出される。

 

おそらくそれが、地球という存在の生命維持であるとか次元調整だとかに欠かせないものなのではないか?

 

わたしは毎年アゲハ蝶を飼育しているから、この幽玄エネルギーの存在実感を持っているわけだが、もしかしたら完全変態する虫たち皆、同じ働きを担っているのかもしれないとも考えられる。

もちろん昆虫業界全体を通して考えた時、それぞれに我々の思いもつかない各役割が割り振られているだろう。さらに言うなら、昆虫業界を支える木々や草花業界、それを下支えする土や水の業界まで含んで、みんながみんな地球の振動数維持もしくはレベルアップに関与する仕組みができているのだろう。

その中で、今は人間だけが異質な存在になってしまった。でも縄文と呼ばれる時代には、人間もその輪の中に入っていただろう。

わたしにとって赤の他人とはまったく思えない『虫愛づる姫君』のお話は、もしかしたら、そんな縄文精神を奇異に感じる時代のメタファーかもしれない。

 

 

さて、 もはや我々は、人類史上かなり大きな岐路に立っている。

このまま進むと「人間社会かAI社会か」は「選択」ではなく、自動的にAI社会となっていく。

もちろん観念的な話ではなく、実際の話です。

 

このことに、ヒトとして抵抗感を持つ人がいて、わたしもその一人だが、

世の中は意外とそうでもないようで、そのことを考えると絶望的な気にもなる。

なるけれども、たとえ一握りでもこの「ヒトとしての完全変態」の必要性を感じる人がいるのなら、そういう者同士が連携して脳波を合わせるしかない。それが人間にできる最大の周波数放出だと思う。

またこの連携というのは仲良しクラブである必要もない。

完全な個として、完全な脳波状態を作り出す者たちがいて、その放出された周波数が自動的に共振している状態といったイメージ。

つまり、我々も昆虫と同じだと考えれば、ここでミンミン鳴いている音と六甲山や剣山でミンミン言っているのが地球として正常である、というようなイメージ。

そこにシャーシャー言ったりカナカナ言ったりする音が加わることで、振動波の共振が太くなる、、、といったようなイメージ。

 

 

人類最大の危機に対しての意識に目覚めたら、少なくとも「生きづらさ」みたいな個人テーマはもはやどうでもいいことだと気付くはず。

生きづらさっていうのは「世間と違う自分」を受け入れるのに戸惑って、もがいているだけの状態。でもそもそも世間自体が幻想だよって気づいて!人に足並み合わせる必要はないんです。

それより脳と身体を有効に使うことを一緒に考えましょう!