今日は実家に行きました。
先日、足が痛いだの何だの、何かと具合悪いようなことを言うから「3度目のチューだけはやめてよ」と言ったところ「何言ってんの、やるわよ。何でもないわよ」とめちゃくちゃ言い張るので、電話で大げんかになった。
最後は「勝手にしなよ💢」と言って電話を切ったわけだが、以前だったらそれっきりになるところを、翌日自ら猫写真をLINEしてきたりしていたw
今日は正月以来換えてなかった神棚のお神酒を交換して、井戸の掃除をして、宮尾神社(庭にある猫のお墓w)のしめ縄が取れていたのを張り直し、万全整えて、母に精油マッサージをしがてら、絶対やめるようにと説得工作をした。
彼女はブツブツ言っていたが、しぶしぶ「わかったわよ」とは言ったものの、本当にわかったかどうかはかなり怪しい。
それがナーコロのためのものだと信じているわけだから、母の言い分は十分わかる。
だけど、
最終的には彼女の意志に委ねることになるにせよ、「本人の自由だから」などとわかったようなことを言って、実は摩擦を避けたいだけ。でも実はやっぱり気になっている、、、、、
みたいなことは、わたしにはどうしても気分悪い。
どうせ最後は本人のしたいようにするんだから、情報源がTV、新聞、オバハン仲間だけの家族に、自分が持っている情報を伝えないで選択させることは本当の選択と言えるのか?と思うから、言わない後悔よりは言って後悔した方が良いと思っている。
それに、以前なら(グリッド以前の悪夢のような状態だった頃なら)、そんな話はできる余地がなかったんだもの。
今なら、たとえ喧嘩になっても、話はできる。
そしてわたしの提案を飲むか飲まないかは彼女の自由で、最終的には受け入れる以外にない。
それにしても。
2年前にはこんな風に、「普通」の関係性を持てる日がくるだなんて、本当に夢にも思わなかった、まさに「絵空事」だった。
だから、結局のところ、母がどういう選択をしようと、わたしは十分満足はできる。
だけれども、だからと言って、自分の心に引っかかりがある状態を保持することは、わたしは断固ごめんだ。
最近、因縁探偵 の要望が多く、やはり親子関係はみんなにとって大きな問題なのだなあ、、、としみじみ感じる。
特に「母親問題」はいつまでも人の心に大きな影を落とす。
人の「性格課題」や「傾向課題」のほとんどが、親、特に母によってもたらされたもので、良きにつけ悪しきにつけ影響を及ぼしている。
しかし、その母親だって、それ以前の世代や、血縁ではないところからの負の影響によって動かされてきただけと考えると、
「誰かが悪い」や「誰かのせい」という発想とは別に、「純粋な解決を望む」という気持ちもまた、子供から親への無条件の愛だ。
そのことがわからない人はとても多い。
先日は「かおりさんが母親問題の体験をブログに書いてくれたことで、こういう問題に悩んでいるのは自分だけではないとわかった」、とした上で、
それまで誰に相談してもわかってもらえなかった、、、という話が出た。
(というか、よく出る)
「うちの親は何かがおかしい」ってことは、何となく気づいたとしても相談する相手がいないまま時間だけが過ぎる。
理解してくれる友達がいたとしても、どうしようもない気分の聞き役にはなってくれても解決には至らない。
「気のせいじゃない?」とか、「考えすぎじゃない?」だけでも嫌な気持ちになるのに、最悪なのは「親離れできてないんじゃない?」などと、まったくお門違いな「アドヴァイス」(って言えないじゃん!)をくらったりして、「あー、しまった!(言わなきゃよかった)」という気持ちにを抱かざるを得ない、、、、といったような二重苦、三重苦のヘレン・ケラー状態だ。
超よくわかる。わかり過ぎるほどわかる。
言ったところでわかってもらえないのだから、もう誰にも言わないし、一人心の片隅に抱え込む、、、というスパイラルに入る。
そして振動数を落とす。 そして不運を呼ぶ。やさぐれる。。。。。
成長し、れっきとしたオバハンになったからこそ、親が生きている間にどうにか解決して、心おだやかに今生を閉じさせてあげたい、、、、という気持ちが、「愛情」からきていることは明白だ。
負の因縁にはいろんなパターンがあり、一発解消できるものもあれば、時間を要するものもあるし、依頼者ご本人の心理的努力が必要なことも多い。
何より、蓋を開けて見なければわからないわけだが、一人悩んでいる人の手助けが、少しでもできれば幸いなことだとわたしは思っている。
さらに、依頼者が大きな気づきを得られたりしたら、心から嬉しい気持ちになる。