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「コンフォートゾーン越え」についての話(1)


「コンフォートゾーン越え」についての話(1)


ちょっと思うところがあり、「コンフォートゾーンを越える」という話について、数回に分けて書いていこうかと思います。

 

 

何歳からでも人は成長(変化)できる

 

人はいくつになっても成長していけるものです。息を引き取る直前までそれは続きます。

単に年だけとった人と、成長を続ける人と、あなたはどちらになりたいですか?

まあ、そんなことを意識的に考える人は、実は少ないわけで、ほとんどの人は変わりばえのない自分で、変わりばえのない日々を過ごし、

それは仕方のないことだ、という風に「フェイク受け入れ」をします。

この「フェイク受け入れ」を「円熟」と勘違いしやすいわけですが、ただのフェイクなので、円熟の真逆です。

わかりやすい最たる例が「新橋おやじ」とかでしょうか。

飲んでウサを晴らしてるつもりでしょうが、特に何も晴らされてはいません。

よく、勘違い女子が「いいの、わたしはこれで」とわかったような口調で言ったりしますが、それが本心からの「いいの、わたしは」なのか、フェイク受け入れなのか、わたし、顔を見れば一発でわかります。

いや、本当は、顔を見なくても、言動からわかるものです。

 

でも逆に、自分の「成長」が足踏み状態であるならば、それは成長チャンスだってこと。

まだまだ余地があるわけなので、「次の景色」を見るために、重い腰を上げたらどうだろうか?と思います。

 

そうじゃないと、結局自分の本当の欲求に気づかない(フリをしている)ので、自分の本当の欲求さんは暴れ出します。

 

自分の本当の欲求から目を背けていると起こること

 

病気っていうのは、そんな欲求さんからのプロテスト=細胞を使っての抗議デモなので、まあ、放置しているとろくなことにはなりません。

「欲求さん」自体は、姿を持ちませんから、細胞さんを使ってあなたに知らせようとするわけです。

俺の話を聞け!と。

 

いつも腰が痛い、とか、肩が凝ってるとか、慢性便秘だ、、、

みたいな人は、それで済んでいるうちに行動を変えた方がよかろうというものです。

 

あと、まあ、要するにそのような人は振動数が低い(=自分本来の振動数で生きていないのだから当たり前のこと)わけなので、振動数が低いことに起因するあらゆることが起こり得ます。

 

だからこればっかりは「フェイク」では逃げきれないわけです。

 

(続く)