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「すずめの戸締り」を見て、わたしが衝撃だと思ったことあれこれ


「すずめの戸締り」を見て、わたしが衝撃だと思ったことあれこれ


事前情報を一切入れず、新海監督の新作「すずめの戸締り」を週末さっそく観ました。

 

・主人公すずめの成長と癒し
・人間愛とは、生きるとは
・自然災害と失われた生活
・土地や人の名前など暗示的な要素

例によって一つの映画の中にいくつものテーマが織り込まれた重層的な作りで、何をピックアップして語るべきか迷うところですが、わたしにとって何より衝撃的だったのは、、、

あくまでもわたしの視点ですが、とお断りしてから言いますけれど、

要するにこの映画の主題の一つは、間違いなく「地面」です。 

なんというか、これは、ある意味因縁探偵ではないか!

わたしがしていることはこれに近いのではないか!

と、思わせる描写が出てきた時の衝撃は、なんとも言い表せない。

応援されているような気持ちもありますし、「なんで!!!」というのもありますし、

同時にこれで少しは理解が広まるかな・・・・?という期待にもなりました。

 

 

これからご覧になる方も多いでしょうからディテールには触れないようにしないといけませんね😄

 

映画の設定は「閉じ師」ということですが、いわば生きている人間が想いを寄せない「見捨てられた土地」「見捨てられた場所」にはスキができてしまう。これを能舞台の表現を使って「後ろ戸」と称していました。

映画ではそれが地震を引き起こす「ミミズ」ということになっている。因縁探偵では、「気の枯れ」として、人の身体や生活、人間関係に影響を及ぼしていると捉えています。

いや、実際、本当にそうなのです。

で、その「処理」に関して原理は同じで、

そこで暮らしていた、今は亡き人たち、そこで営まれていた人生をリアルに思い描くことで、扉は閉まるわけです。

「その人たちをイメージして!」と叫ぶシーンがあるのですが、

この描写は、わたしには本当に衝撃でした。

 

だって、本当にそうなんだもん。人が、想いを寄せるということの力が、どれだけの効力を発揮するか、、、、

これが多くの人に知られてほしい。本当に、最も簡単で、最も力のあることなんですから。

しかしどうしてこんな描写、こんな設定が、、、、どうやって思いついたのだろう、この脚本家は!脚本も新海さんですか?

 

祝詞も登場していました。
作中唱えられる祝詞はあまりリアリティがあるとは言えないけれど、でも一つのキーワードとしての「祝詞」という点で、これも今年になってわたしが強力にプッシュしているものです。

祝詞は本当に凄いものですから、ぜひ多くの人に知ってほしい。

 

宗像とか海部とか、これも今年になってめちゃくちゃ深掘りしているもので、

一体なんで?

と思いましたが、多分「ある種の人たち」には同じようなテーマ、同じようなキーワードが与えられるんだろうなってことで、簡単に納得しました。

 

「君の名は」「天気の子」より笑えるシーンが多く、その意味ではコミカルですが、主題はその二つよりはるかにリアルゆえに、はるかに重いものです。

これはスピリチュアルでもなんでもなく、「地震」は現実そのものであることは言うまでもなく、また、大地震が噂されている「日向灘」から話が始まるのも暗示的でした。

 

ほとんど感情移入せずに見ていたのに、彼らが「生きたい!」と叫ぶシーンではなぜか涙がたくさんこぼれました。

もしかしたら、それはわたしのものではなく、「生きたかった人々」の思いだったのかな、とも感じました。(その証拠に、直後少し具合が悪くなった。一晩で消えましたが)

「日常」のかけがえのなさ。

それはどんなに退屈な日常であろうと、どんなにしょぼい日々であろうと、どうでもいい。かけがえのないものです。そして、誰しも必ず、それに別れを告げなければいけない。

行ってきます、行ってらっしゃい。ただいま、おかえり。いただきます、ごちそうさま。ありがとう。元気?大丈夫?ごめんね。またね。

そんなことで、わたしたちは成り立ってる。そんな普通の言葉が最高の祝詞かもしれません。

 

ねこが神様である設定も、女性はみんな優しい人である設定も好きです。

わたしたちの見えないところ、考えも及ばないところで、この星に暮らす動植物みんなが、補い合ってくれている。

そんな風に思ったら、とても簡単な感想などは出てきませんでした。

 

客席は若い子たちでいっぱい。

次世代は、こういう世界をきっちり「すり込み」されて、こういうのが当たり前だと感じるようになるのかな。なって欲しい。いや、そんな風に願わなくても、若い子たちはしっかり分かっているのだろうな、とも思っています。

 

 

因縁探偵みたいな地味な仕事って、正直に言うと、「なんでこんなことやってんだろ?」って気になったりもします。

体験のない人にはわからないし、説明したところで誰にでもわかる仕事でもないし、ときどき返り血を浴びたりもして、数日寝込んだりもします。

「閉じ師」みたいのが実際に存在するのかわかりませんが(昔の陰陽道ではそれが活きていたのでしょうけれども)、まあ、そういう、誰にもわからない仕事ってあるよな、、、、、という風に、ちょっと気持ちを勇気付けてくれたというか、新海監督には感謝です。

 

 

以前、訪れた鹿島・香取の「要石」がリアルに思い出されました。

今見たら、2010年のことでした。

翌年、311が起きたのです。

 

 

とにかく、日常を大切に。

地味な日々でも良いのです。

何者かになろうとするより、朝の元気な挨拶が大切だったりします。それが先祖に向けたものまであると、もっと良いんだと思います。