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偶像というものについての戦慄


偶像というものについての戦慄


あの、、、、ちょっと、いま本当に、冗談じゃなく凄いことが起きて、興奮とも違う、驚愕とも違う、なんというか、強いて言うなら「戦慄」なんだろう。

 

何から書いていいかわからない。

 

けど、とにかくマリアグリッドができて以来、2番目に驚愕したかもしれない。

か、もしくは一番驚いたかもしれない。

 

 

それでわたしは、「偶像」というものについて、かなり核心に迫ってきたと思う。

宗教がどうして偶像崇拝を禁止したのか、、それもなんとなくわかった気がしている。

偶像(物質)にとらわれて、肝心の信仰心、あるいはスピリチュアリティから遠くなるから、というのが表向きのもっともらしい理由だとは思うが、

そうではない、というふうに今わたしは思っている。

 

けれども、これを書いていいものかどうかも非常に悩ましい。

 

 

 

いや、これ以外にも非常に大きな発見を得たわけだが、何しろ、冷静にまとめられる気がしない。

けど、記念だから記しておいた。