今や「もう大抵のことには驚かない」という心境のわたしだが、つくづく驚いたことが起きた。
同時に、わたしたちが暮らしているこの大地、土地というものについてしみじみと考えさせられる機会をいただいていると感じている。
わたしの確信は、もはや「潜象界(目に見えない世界)の話」という領域を超えてきたように思う。
もちろん「見える世界」は「見えない世界」と常にペアで成立している。見える出来事は、見えない出来事によって現象化されただけであることを理解する人も増えているだろう。
でも、ほとんどの人は、このふたつ(潜象界と現象界)と、わたしたちの「暮らし」の間に、仕切りを設けている。
でもこれは決しておどろおどろしい話でもなく、ましてやキラキラした話でも、フワフワした話などでもなく、「現実」というもの、わたしたちの「生活」というもの、つまり国の発展や経済、利便性、などにめちゃくちゃ直接関わっているのだ、という実感がもたらされ、正直、わたしはちょっと戦慄を覚えている。
だし、この戦慄を、どこまでどう書いていいのやらわからない。
わたしたちは、この国土に古代から広がる山を切り崩し、川の流れを変え、海を埋め立て、町をつくり、さらにそれを広範囲にまで広げ、
そこに道路を作り、鉄道を通し、人々の移動を可能にし、物流を築き上げて利便性を追求した。
そこには電力といったエネルギー供給と送電も含まれる。
昭和40年代の生まれであるわたしは、あちこちで宅地が造成されるさまを自分の目でも、テレビや新聞の報道を通してでも、確かに見てきた。
新幹線が開通し、新しい高速道路が繋がるのを見てきた。
電話回線がインターネットになり、今はここにいながら、一歩も動かず、指一本で商品を発注したら翌日には手にできる生活をしている。
果たしてそれで良かったのか、と今さら問う権利すらないぐらい、利便性そのものに浸かっている。
そして激化する自然災害や、いつ起こるとも知らない地震や火山の噴火などに怯えている。
そして家庭不和だの、精神疾患だの、人間関係の問題だのに悩んでいる。
ああ、だけど、わたしたちは古代の人たちが大切にしてきたものは何一つ大切にはしてこなかった。
触れてはいけないものをそのままにしておくことはしなかった。
科学というものは、国土開発にとって、土木や建築技術として役に立った。
おかげでこの敗戦国は、目覚しい勢いで経済復興を果たし、人々は生産性を求めて汗を流し、わずかな金と引き換えに上を目指した。
やがて土地は高騰し、不動産は最も効率の良い経済市場となった。
わたしたちは何かを破壊することで、さらに大きなものを失った。
こんなことはノスタルジーに浸る感傷的な記事を仕立てたいがために書いているのではない。
これらはすべて「エネルギーの話」からきている。
わたしたちは、破壊したものの上に暮らしを築いたが、その結果、これからあまりにも大きすぎる代償を払うことになる。
これは「人々が精神性を失った」といった範疇をはるかにしのぐレベルの「消滅」を意味している。
人間は、大地との関わりなしに生きてはいけないのだ。
冒頭書いた「驚き」について、深く触れることはしない。
けれど、こういうことがあった。
先日のレポートでお伝えした、ある住宅地のことは深く脳裏に刻まれていた。
というのは、「その場所」にグリッドを展開した瞬間、ものすごく重たいエネルギーを、わたしが「くらってしまった」状態になったからだ。
いったい、どうしたわけだろう?と気になるのは当然のことだった。
週末、今度は、現在海外に住むクライアントKさんのコード解除セッション。
当然、先日のクライアントAさんとは面識もない、全く別個の方だ。
Kさんの家系に繋がる先祖の土地、父親の実家を見てみたら、その集落は「●●神社」に囲まれていることに気づいた。
へ〜、また「●●神社」か〜、とわたしは一瞬思った。「●●神社」はAさんの件でもキーワードとなっていたからだ。
ちなみにわたしがやっているセッションは、とにかくGoogleマップが全てである。
Googleマップには実に多大な情報が眠っているから、わたしのセッションは見える聞こえる系でも、チャネリング情報でもなく、実に左脳的な作業である。
次に彼らは別な土地に引っ越し、Kさんは幼少期をそこで過ごすことになる。
そして驚いた。
引っ越した先というのは、Aさんと同じ、神戸の宅地だった。
また、「あれ」だ!
そしてその場所を航空写真で広げると、変わらずものすごい負の情報が向かってくる。あまりにひどくて、わたしは胃が重くなり、吐き気を催すほどだった。
Kさん本人は、言われた場所にグリッドを展開したら、
子供達の喧嘩が昨日から激減 起こる回数が激減 学校がない週末ということもあるかもですが みんなが言ってた 喧嘩やいざこざが減るという現象を 今体験してるのかもと思ってます
とのことで、それは良かったが、わたしの方には多大な疑問が残った。
なぜ、この場所が?
である。
そこで、気が済むまで調べないと気が済まない(笑)わたしだから、その土地に関して徹底的に調べた。
幸い、昭和40年代の宅地開発の様子が写真付きで開設されている貴重な資料に目を通すことができた。
そこには一つの大きなキーワード「断層」というものの存在が浮かび上がった。
そして、わたしの推理、
「そもそも「聖地」である山を崩したこと、さらに、地下に新幹線を通したことで、エネルギーの流れが決定的に分断され、堰き止められた」
そのプロセスを理解することができた。
エネルギーの流れが本来性を失えば、そこには負の土地が形成される、、、、と考えれば、その宅地に起きる様々な「不具合」は、その影響だろうと推測することができる。
おそらく断層は龍脈と呼ばれるもの、そして水脈に影響する。
掘削したトンネルは水の流入がひどく、工事は難航に次ぐ難航だったことが資料には記されていて、また、この水が暴れないように、断層は「最新技術によって」コンクリートで埋められた、という記述もある。
わたしは理解した。
「封じ込められた龍」とはなんのことを指すのか。
このような場所はここに限った話ではないだろう。
日本中のそこかしこに転がっていることなのではないか。
そのようにして国は発展してきたのだから。
ただ、龍は「封じ込められている」だけで、死んでいるわけではない、ということが最大の肝だ。
そして、誰だって自由になりたい。
それがどういう形で「自由に」なるのか、わたしたちは想像する必要もあるだろう。
こんなことは深く考えても、如何ともできる問題ではない。相手は国土だ。
でもわたしは考えずにはいられない。
このところずっと、山や岩、石というもの、この地面というもの、島や陸地が本当は一体なんなのか、ということに、無理やり向かされてきた。
けれどこの件は、ものすごく巨大で重い石を持ち上げようとしているような、無力感に襲われる。