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盂蘭盆会、つまりお盆。自分に繋がる無数の星
お盆です。
「いわゆるお盆行事」というのは日本だけの風習と聞いたことがありますが、でも根拠はそれなりにあるようで。
最近わたしは、「お盆だから先祖の霊が帰ってくる」という考えは社会通念としてなんだか素敵だなと思うようになりました。
こういうことは若い頃は一旦否定したりします。どうでもいいバカバカしいこと、めんどくさいこと、という風に。
そのように、一旦チャラにしてからの、今。昔の人が大切にしていた風習って、やっぱりなんか意味があるものが多いと気づくお年頃。
いろんなことを自分なりに解釈し直すことは大切です。
「先祖」と言っても我々が直接「人物像」として実感があったり伝え聞いたりできるのは、せいぜいひいじいちゃん、ひいばあちゃんレイヤーまで。
それ以前の方々は、家系図や過去帳を大切にしているおうちならともかく、わたしなんかは名前すら知らない。
現在地点を「自分」だとすると、振り向けば果てしない、壮大なレイヤーが過去に広がっているわけで、今朝グラウンディングをしながらふとそのことを考えたら、この「自分につながる果てしない過去の名も知らぬ人々」が、まるで星空のようだなと思えて、その瞬間なぜか涙が出てきて、大きな感謝の気持ちを抱きました。
「先祖を大切にしよう」ということが、即お墓参りに欠かさず行く、ということではない。
むしろそんなもの(墓)は「物質」に過ぎないし、お墓に入っていない遥かないにしえの人たち、自分に繋がるこの無数の星たちの煌めきを讃えるというか、その人たちが生まれて、生きて、種を残したことで自分につながっているんだということをしみじみ考えることが大事です。
そんな風にして紡がれてきた「自分」を丸ごと受け入れることができずに悩んでばかりいるのなら、それこそ「ご先祖様に申し訳が立たない」のではないでしょうか。
肉体を持っているからこそできること、そこに付随して生まれるあらゆる感情。
それを味わい切ることが「生きる」ということで、死んだ人にはそれができない。
何もアクションはせず、内向きな自分探しでドツボにはまっているのは、それも一種の「コンフォートゾーン」。
アクションして得る感情は「生きた感情」。
夜空の星の美しさは、すなわち自分も「そのひとつ」だってことを気づかせるためじゃないでしょうか。
ところで、数日前に突然
お香を作れ
というお題がやってきました。
お香というものは奥が深く、語り出すと長くなりますので今は割愛するとして、
とにかく「お香ね、お香。はいはい〜〜〜〜〜」と気分アガっているワタクシですが、今朝、ふと
あ、お盆だからなのかな、、、、、
と思いました。
といっても、これから作るお香は仏壇用でもなければ、芳しい伽羅を楽しむものでもなく、平たく言えば「浄化用」ということになりますが、お香とはそもそも浄化用なのです。
(といって話し出すと長くなる)
脳内には完璧なイメージがすでにありますので、今後しばらくをかけてその具現化に向けて取り組みます。
素材を合わせて、手で練って、最後は火で熱して振動数を変化させる、
ということを考えると、要するにマリアグリッドと同じ。
従ってグリッドの働きを補助するものになります。
線香、塗るお香、丸玉にしたもの、、、などを想定しています。
このお盆には間に合わないけれど、スーパー銭湯ならぬスーパー線香を作ってやるー(アホ笑)
なんだか楽しくなってきました。