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負の解除って、結局は対人折衝力なんだと思う


負の解除って、結局は対人折衝力なんだと思う


本日も「因縁探偵」ことネガティブクリアリングのセッションでした。

 

「あ!」という符号が合致する「因縁の場所」を特定できたのではないかと思います。

クライアントは敏感な方で、その場所が特定された瞬間、ものすごい体感がきたそうです。

この後の解決は、クライアントご本人と、因縁の「負の主」との対話、ということになりますが、なかなかに感動的な時間でした。

 

 

この「因縁探偵」が素晴らしいのは、「負の解除」という目的を通して、その人自身の人間力(成熟度)を上げることができる点にあると思っています。

 

ネガティブを見せかけの術や、力ずくで排除するのではなく、あくまでも「対話力」、いわば「交渉スキル」によって、気分良く本来いるべきところに帰ってもらう。送り出し作業なのです。

ハートのど真ん中から出てくる「慈しみ」の気持ちで寄り添い、負の主と対話を重ねる。

 

無理やり排除しようとすれば、抵抗されます。

 

負の主が気分良く退場してくれたら、忌まわしい現象は再発しないだけでなく、自分自身の気分、感じ方が劇的に変わります。

それには何より、自分の凝り固まったパースペクティブ(ものの見方)の変更を余儀なくされる。

ここはいくら表面的な「寄り添い」を装っても、相手に通じなければどうにもなりません。負は依然としてそこに留まります。

 

これ、面白いなと思うのですが、

相手が人間なら、仮に表面的な寄り添いでも、バレなかったりします。バレたとしても、そこは人間ですから、いざこざを避ける心理から、穏便に済ませようという計算が働くものです。

 

でも負の主のような「元人間」(場合によっては相手は「自然」だったり「神といわれるもの」「宇宙存在」だったりしますが)は、姿かたちがないぶん、めちゃくちゃ正直で、こちらの嘘を見破るのです。

本当に納得しない限り、引っ込まない。

 

だからナウな人間を相手にしているより、はるかにタフな交渉相手で、しかも、通じたか通じないかは、本人だけがわかること。

自分の言い分や、自分側から見えている光景だけでは通じないから、あくまで「相手の側に立つ」、相手の視点で自分を見る、という新たな視野が養われることになる。

 

ここで「逃げグセ」がついていたり、粘り強さが要求される交渉を避けるクセ、自分の未熟さに気づかない(認めない)クセ、、なんかがある人は難儀するかもしれません。

解除するには、自分の懐を広げるより他にないのです。

 

そう考えると、負の主は、あなたの成長に一役買ってくれていると言えるわけで、本当にそれが腹に落ちた時、あなたは負の主に対して感謝の気持ちを抱くことになります。

 

「そうか、、そうだったんだ、、、」という気づきは、自分自身の思考への気づきでもある。

 

だから負の解除は単なるきっかけに過ぎず、要するに人間の成長プロセスなんじゃないかな、と思ったりもします。

 

そう考えると、なんだか楽しくなってきませんか?

 

 

・・・てなことを書いていますけれど、これはわたしがそう設定したことでもなんでもなく、わたし自身の負の解除経験と、これまでのたくさんのクライアントの事例から導き出されたことであります。

 

 

そこでさらに気づいたのです。 

「ああ、だからマリアグリッドなんだなあ、、、」という、当たり前のことが。

聖母マリアは慈愛の象徴で、持つ人が慈愛に目覚めた時、グリッドは効力を発揮するのです。

決して、力づくで屈服させようというものではありませんし、理詰めで攻めようというものでもありません。

 

着ている鎧を脱がなくてはいけないのは、まず自分自身、ということなんだろうなと思います。