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「コンフォートゾーン越え」についての話(4)


「コンフォートゾーン越え」についての話(4)


「コンフォートゾーン越え」についての話(3)

 

言い訳している自分に心地よさ(コンフォート)を見出してるならば

 

前回は、「ビビり」はつまり人間関係だ、ということを書きました。

要するに、それは「あなた」が「他者」つまりあなた以外の人をどう捉えているか、ということを写し出します。

 

別な事例を書くつもりでしたが、今日、わたし自身、ひとつの体験をしまして、腑に落としたばっかりなので、この例を書いてみたいと思います

 

人間の特性として、「人のことを推測してしまう」という癖があります。

で、推測は推測に過ぎず、事実ではないわけなのに、推測を事実と半ば決めつけてしまいがちです。脳のアホな機能ですね。

 

今日の出来事(記事読んでね)でわたしが相手に電話をしたのは

1)推測より事実を確認したかったから

という理由です。

で、さらにレイヤーを上げると、

2)わたしは目的を達成したいというモチベーションを、ビビる気持ちより優先したいから

です。

正確に言うと、ここは順番が逆で

目的を達成するためには、事実の確認が大事だから

ということになります。

この順番は非常に大事だと思っています。

下位のレイヤー(みみっちいこと)を上位のレイヤー(より大切なこと)より優先させないこと。

 

 

つまずいてしまう人は、この順番を逆に考えてしまいます。

みみっちいことのために、大切なことを捨てる、というわけです。

というのも、ここは十分な言い訳材料(本当は●●したかったけど、XXのせいでできなかった)になるわけで、

この場合、みみっちい障害は、「相手のせいで」と言うことができちゃいます。

でも、それは単に、自分のビビりを、誰かのせいに差し替えた方が心地がいい、と選択しているからです。

 

 

 

コンフォートゾーンなんてどんどん変わる

 

「コンフォートゾーン」と言っても、

振動数が上がってくると意識領域も拡大しますので、いわゆる魂の望む生き方に焦点が合ってきます。

ムダな恐れがなくなる、ということもあります。

そうするとこの「誰かのせいにして済ましている自分」というものにイラっとくるようになります。

むしろ、そのコンフォートがコンフォートではなくなってくる。

 

かわりに、何がコンフォートかといえば、

自分で決めて行うことを、気分よくやってすっきり終わらるというゴールを迎える

という風に、「ゾーン」設定が変わってきます。

 

今日のケースは、相手への確認をしない(という自分の選択の)せいで、やな気持ちを自分が保持することになる、ということが、たまらなくアンコンフォート=クッソ気分わる!

だから、何もかも全てが「自分の心地よさのため」なわけです。

 

 

1)の行動を取らないと、

自分の行動を相手に拒否された

という「事実」だけが残像として残ります。

「あなた」が「他者」(あなた以外の人)をどう捉えているか、が大事なわけなので、相手にも自由があることをあなたは許せない人なんですか?と自分に聞いてみるのも、冷静さを取り戻すテクニックかもしれません。

そして人の心理なんて秒速で変わるものだ、ということも思い出すことも忘れずに。だって、相手の態度次第で、あなただって秒速で変わるでしょう?

 

相手には相手の心理があり、もしかしたら、返送してきた段階では確かに怒っていたかもしれない(推測)けど、こちらから電話という行為を受けることによって、「怒る話ではない」と理解すれば、態度は自動的に軟化するに決まっています。

わたしだって悪意でやっていないし、もちろん相手だって同じです。

その上で、A:やっぱり受け取れない B:そんなことなら受け取る なのか、それは相手が決めることで、その決定を平和裡に尊重すればいいだけのことです。

で、もしもBだった場合、他に送り先はいくらでもあるのです。

 

 

あと、今日の気づきとして大事だったのは

「電話してきてくれたら説明できたのに」と思った瞬間、でした。

この時点で、わたしは

「相手が」わたしに電話すべきだ、という考えを持っていることに気づいた。

つまり、わたしは相手に求めている、ということに気づいた。

しかし、冷静に考えれば「話したら説明できるのに」というひらめきだけが大事なわけで、どっちから電話するかは、別にどうでもいいわけです。

しかも、この場合、問題を解決したい、主体はわたしなので、わたしから電話することは当たり前っちゃ当たり前の話なわけです。

 

 

もちろん、今回の件は、わたしがこの目的を大切だと考えているからの行動なわけで、どうでもいいと思えば、何もしません。

 

でも、ここもけっこうなポイントで、

障害を乗り越えるのが嫌だから、大きな目標を設定したくない

という風に、自分を仕向けてしまう人もたくさんいます。

それが「コンフォート」であるうちはいいですが、それゆえに完全に自己肯定できない自分がいるとすれば、そろそろゾーン抜けを考えた方がいいでしょう。

 

で、すごく大事なんですけど、上記の場合は単に

障害の乗り越え方を知らない

というだけのことなので、実はまったく大した話ではありません。

知らないことはできなくて当然です。

で、知らないことを「恥ずかしい」と思っているのなら、それはなんらかのインプリンティング(刷り込み)なので、まったく意味ないよ!ってことに気づいた方がいいです。

無意味な劣等感を持ち続ける必要はどこにもないです。

 

乗り越え方なんて、死ぬほどあります。

 

この話をしたい方は、個別にお問い合わせください。まず2時間ぐらい話を聞きます。

 

(続く)