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塩に夢中
最近、とにかく塩について考えている。
塩はわたしたちの「キモ」となる。
「夢ハ夜ヒラク」で塩を扱っているけれど、これらの商品開発はすべて、(株)有馬さんとの出会いがなければ起き得ないことだった。
考えてみれば実に不思議なことだ。
わたしがまだアクセサリーのみを販売していた初期の頃、(株)有馬のリカさんは、ごそっと何本もお買い上げしてくれた。
なのに、ご本人と繋がったのは、ごく最近のこと。考えてみればマリアグリッドの体験セッションを開始した頃のこと。
この時点で、彼女は自分ブランドのバスソルトを提供していて、それを紫鯨亭なおさんが紹介していたのを、何も知らずにわたしが買ったことがきっかけだった。
塩の入浴がどうしていいと言えるか、というと、
海の近くに住んでいる自分としては、海水(塩水)の効能について体験的によくわかっている。
6年ぐらい前だったか、初めて伊勢に行ったとき、とても奇妙なことが起きて、左足首を捻挫した。鎌倉に戻り整形外科に行くも、湿布をくれるぐらいで埒があかない。
腫れも完全にはなくならず、腱の引っ掛かりと違和感もいつまでも残り、困ったなーというときに、ふと「海が癒す」と思いつき、波打ち際を裸足で歩くことにしたら、あっという間に腫れはなくなった。
そして、足全体とても軽くなることを実感した。
今、わたしは夏の間だけ波乗りをするけれど、とてもスッキリする。
そんなわけだから、リカさんのバスソルトを買い、彼女がマリアグリッドを見つけ、、、としているうちに仲良くなり、扱っているこの塩の由来を聞いたら、いきなり「夢ハ夜ヒラク」という「振動数を上げるいろんな商品を扱うセレクトショップ 」の構想がパッと浮かんだ。
・・ということを共有したら、翌日から「実行」フェーズに即、入った。
ものすごいスピード感だった(けど、今年のわたしは全てがこのスピード感だから、もう普通になっている)。
どうしてこの塩がめちゃくちゃいいと思ったか、というと
余計な要素が何一つ感じられない
からだ。
これは(株)有馬社長であるお父様が、ボリビアを旅行した際に、突然
「これだ!」とピンと来たので採掘権ごと買って現地に工場を作ってしまった
という話に、わたしが
「それだ!」とピンと来た(笑)ピン!to ピン!のリンケージである。
この、電卓を弾いてことを起こさない力
ひらめき一発に賭けられる力
それはすなわちご自分自身を髄まで信じていなければできない行動で、よって、ゆえに、この塩の純度はむちゃくちゃ高い、とわたしは思ってる。
実際、この塩はちょっと常軌を逸したすごさがある。
「どうすごい」ということを言語にもできないし、成分表みたいな話ではもっとないわけだが、
わかる人にはめちゃくちゃわかる、ということがこれまでお求めくださった人からの反応で、把握している。
これからの時代はもう、
「わかる人にはめちゃくちゃわかる(わからない人にはどんなに説明してもわからないので説明する必要がない)」
つまり
ピン!to ピン!の時代 (peer to peerを軽く凌ぐ)
だとわたしは思っている。
話が長くなったが、まだ続く。
で、今、毎日考えて、試作しているのが、「グリッドの波動を転写した塩」のことだ。
正直、わたしは「波動の転写」などというものを、今の今まで信じていなかったわけだが、
実際にマリアグリッドのエネルギー別に転写された同じ塩は、食べてみれば全て味が違う訳で、もう、信じるとか信じないとか、そういう段階を軽くすっ飛ばして、ことは進んでいるわけである。
マリアグリッドができてから、わたしはもう、考えること(=自分の意図)を放棄して、「どこからか来る何か」に沿って物事を行なっている。
それで、今、「みすまるのたま・火のエネルギー」が転写された塩を、さらにマリアさまのかたちにできないか?
という小学生のような試みをしているわけだが、難易度がかなりの高杉晋作でうまくいかない。
アンデス岩塩はこのように形にするのに何日もかかって、やっと2つ。無理だ。
そして失敗に終わって崩れたみすまる塩を入れたお風呂に入りながら、 ふと思った。
よくよく考えてみると、
明らかにおかしな話である。
だって、すべてがあまりにも偶然すぎるというかなんというか、
普通、そんな話があるだろうか?
「波動転写機」なんて、普通の人は持っていない。わたしのこれまでの人生で、そんな人には会ったことがない。
波動転写機を持っている人がマリアグリッドを持っていて、その家業から高純度のすごい塩を提供されている。
・・・・冷静に考えたら、なにがなんだかわからなくなった。
けれど何か必然であろうことだけは、なんとなくわかる。「何か」はわからない。
とにかく、
マリアグリッドの展開は決してわたし一人ではできないことが、現れる協力者によって次々と進んでいく、ということ。
そもそも、わたしは塩が好きだ。
以前から、日本全国、どこかへ行ったら必ずその土地の特徴的な塩を買い求めることにしている。
塩は、繰り返すが、わたしたちのキモだ。
これを読んでくれている人たちには「減塩」が正しいと考えるような人は一人もいないはずだと思って言うけれど、わたしたちはとにかく、良い塩を大量に摂取する必要がある。
そして塩といえば思い出すのがこれだ。
しつこく断っておくが、わたしは「キリスト教徒」ではない。
ここで説明されている「腐敗を防ぐから役に立つもの、の比喩」は絶対に腑に落ちない。
決してそんな意味ではないだろう。
また「自分の中に塩を持ち」は、実際どういうことなのだろう?
きっと説教じみた話ではない、むしろ何か核心的な意味が、塩にあるのだろうと思っている。
まあ、いろいろとわからないけれども黙々と塩のことを考えている毎日だ。