自分であって自分じゃない。ただ、手を貸しているだけに過ぎないという現象
始めたばかりだけど「ヒーリングセッション」には非常な手応えを感じていて、本当にすごいな(わたしではなく「マリアさま」が)って、まざまざと思う日々。今日はそのことについて。 先週は医療従事者が立て続けに受けてくださって、病院という「現場」に漂っているモロモロのアレが、いかにひどいことになっているかを実感するし、現場で働く人たちの過酷さがよくわかって、、、ああ、、、😢とせつない気持ちになる。 たいてい、脾臓と肺に溜まっている。(医療現場の人じゃなくてもね) 脾臓の張りとか、転じて背中(左側)の重たさや痛みとして実感されている場合は、腎臓ぐらいまで見たほうがいい。 腎臓の中に糸球体というもんがあってね、そこまで見たほうがいい。 ・・・・って、こんなことを書いていながら、 というか、人に実施しながら、 ふと我に返って「えーーーーーー???なに???」って思うのよ、わたし。 だって、習ってないじゃん、そんなこと誰にも。 どうしてだかわからないけど、なんだか突然「わかる」ようになった。なってしまったんだよ。 この人の、どこにグリッドする必要があるのか、とか、 エネルギーが相手にしっかり効いているとか効いていない(そこは必要ない)、とか、 なんだか知らないけど、始まったらわかるようになってしまったの。 変でしょ?変じゃない? でも一方では、「もう、そういうもんだよね〜」としか思っていない自分もいる。 (こーなってくると、ますます常識的な世界の方々とは接点がなくなってくるんだけど、それも致し方ないこと)...