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【因縁探偵】事実はドラマより数倍重い


【因縁探偵】事実はドラマより数倍重い


因縁探偵。回を重ねるごとに、ほんと人間ってなんなんだろう、、、ってしみじみ思う。

人間は「ただの入れもの」。コップみたいなもの。

このコップの中に、どんな情報が入っているかだけ。

この仕事のおかげで、わたしは人の不可解な行動一般に対して怒ったり恨んだりすることが、いかに無意味か骨身に沁みてしまった。

それぐらい、みんなが「その人固有の性格」だと思ってる「特徴」なんて、「他の誰かのもの」なのだ。

そしてこの「あなたというコップの中に入った情報」は、過去の記事でも書いている通り、血縁的な「先祖」とは関係がない場合が多い。

 

 

端折って紹介するこんなエピソード。

むしろフィクションだと思ったほうがいいぐらいの話。

 

クライアント(仮名:ルリ子さん)の依頼でGoogleで実家写真を見たら、いきなり立派な石垣が目に入り、瞬時に「お城か!」と思った。

聞けば、ルリ子さんの父上は、突然、独学で、石を組み始めたという。

しかしどう見ても「ひとり突然始めた」ような出来のものではなく、わたしはすぐにピンときた。

この家の因縁は「お城」がらみのものだろう、と。

そのエリアの近くにお城があるはずだ、と。

 

 

ルリ子さんはその家で、家族の件で大変な思いをされて育ち、大人になると逃げるようにしてその地を去った。

いわゆる刃傷沙汰もあったという。

そんな中で本当に、よく無事で生きてこられた。今まで、ヨレずに生きてこられた、そのことだけでも本当に立派だ、、と思うと頭が下がる思いだ。

 

詳細は省くが、言ってみれば、家族、親族の中で戦乱があったようなもの(今もそのさなか)だ。

普段から家族のそれぞれが常に臨戦態勢で気構えているようなものだから、無言で食事をし、終わるとそれぞれの部屋へさっと戻り、会話は最低限に、が常だったという。

父と祖父は対立関係だが、両者とも、常に社会情勢、世界情勢、政治について関心が深く、いつも政権を否定しまくる。

亡き祖父は、暴君だが、土地関連のことに詳しく、その件で界隈から尊敬されたりもしている。自分は尊重されるべき人間で、立派な人物だと思われたい意識が強固だ。

父上は、自分の実力は本来こんなものではなかった、もっと認められるに相応しかったのに、という思いが強い。

 

これらの状況事実から、間違いなく「お城」に関係したことに違いないと、どういうわけだかすぐにわかった。

政権のせいで、自分の人生が歪められた人、、、と考えると実にリアルではないか。

 

 

さて、案の定、やはり近所に復元された城跡を見つけたので、これについて調べてみると、そのエリアには本来、4つぐらいのお城があって、復元されたもの以外は「城址」となって荒れている。

 

しかしびっくりした。お城の中には「浦城」というものがあり、この浦とは「三浦」の浦だった。三浦半島は「三浦氏」のゆかりから名がついている。

ここで一気に、遠い陸奥の出来事と我が町鎌倉との繋がりが発生してしまった。

 

これらのお城について調べてみると、出てきたのが

大河兼任の乱

というキーワードだった。

わたしは浅学でこの乱が何を意味するか知らなかったから、検索してびっくりした。

 

まさにこの家族の中のエピソードと、この乱のあれこれがリンクしていた。

 

 

大河ドラマにとんと興味がないわたしだが、それでも今「鎌倉殿のナントカ」が放映されていることは知っている。

そして大河兼任の乱は、もろに頼朝軍が東北に仕掛けた戦争の中で起きたことだった。

(ところで去年から、「東北キャンペーン」で、このエリア一帯のことを調べるに、わたしの町の大将である頼朝センパイとその一味が、いかにして東北で横暴を働いたか、改めて学ぶこととなり心痛む)

 

 

実に不思議なことだ。

依頼者ルリ子さんと鎌倉に住むわたしは、これまでなんの縁もない。

しかしこのタイミングで、そうとは知らずに大河兼任の乱の、ある意味「当事者」である彼女が、どういうわけか、ここにたどりついてくれ、因縁解消をしようとしている。

そういうことが「ご縁」であり「巡り合わせ」であるわけだが、話が頼朝や三浦氏に及んだ時、なぜかわたしの胸にものすごく重い圧がかかってきて、それはちょっとこれまでのケースではなかった体感だった。

もしかしたらこれはわたしにも何らか宿題があるのかもしれない。。。

 

 

ともかく、この当該エリアではかつて豪族同士の争い、権謀術数が渦巻き、かつて大切にされていたものは奪われたり、亡きものにされ、大量の人が苦痛のうちに死んだ。

そしてもれなく栄枯盛衰。頼朝も北条氏も、武家政権すらも、結局は滅んで今に至る。

 

 

今も残る美しいお城、皆が名を知っている有名なお城、地震などで崩れても再建されるお城はまだよい。

しかし実際は、日本中くまなく規模は小さくてもお城があり、その多くは名前すら知られていない。

有名な武将、いつまでも語られる武将はいい。

しかしそこには、特に戦いたくて戦ったわけじゃない、戦いに仕向けられた、今では話題にもされない男たちがいて、屍が転がり、その陰で泣いた女子供がいた。

生き残れば栄誉なことだけれども、それだって長くは続かず、満足のうちに人生を閉じた人はどれほどいたのだろう。

 

肉体はこの世を去っても、彼らの世界ではまだ戦いが続いていて、未だ騒乱の中にいる存在、恐怖と不安の中にいる存在たちがいる。

大河ドラマは見ないからわからないけれど、日本中が美しく脚色されたお話を真実だと信じてしまう裏に、「そんなんじゃねえよ!!」と言いたい存在たちが、どれほどいることか。

 

しかしながら、そのような世にあって、戦いを義務付けられ、命を落としていったすべての存在に、まずかけてあげるべき言葉は

「立派でしたね。勇敢でしたね」

以外にはあり得ない。

「よくやった!」という言葉を、彼らは本当に必要としていただろう。

 

そしてわたしたちは「生き残った者の末裔」として、

もう戦乱は終わったこと、もはや戦う必要はないこと、あなたたち先人のおかげで、わたしたち生きて毎日を幸せに過ごしていますから安心して向こうに行って休んでください、という気持ちを向ける以外にはない。

頼朝は彼らに詫びるべきだ。あの世にいるのなら、きちんと迎えて手打ちをして欲しいものだ。

そして真に平和な世の中を作る方向に尽力してもらいたいものだと思う。

 

少しヘヴィな案件なので、しばらく試行錯誤が続く。