マニアックな視点で群馬が気になる。
先週のこと、ナニゲにおすすめに上がってきたこちらを見ていたら、
翌日なぜか群馬の友人から「紅葉見に来ないか」と一報が来て、本当に♪どこかでどこかでエンゼルが〜♪見てるんじゃないかとキョロキョロしてしまいました。
速攻で伊香保温泉に行くことになったものの、不測の事態でキャンセルとは相成ったけれど、こういう偶然はなんだか嬉しい。
群馬。
馬の群れと書いて群馬。古代では軍用馬の飼育が盛んだったと思われる。
ほとんど東北の入り口であって実は重要な古墳群を有する、かつては東国の中心だったわけで。
ちなみに、それを言うなら埼玉も同様に気になる。
最近まで意識を向けたことさえなかった氷川神社。これがあるから地名が「大宮」だったわけで、かつ氷川神社っていうのは埼玉に異常に多い。
行田市の稲荷山古墳というところから出てきた鉄剣と合わせて、この「真っ平らな関東平野」に何があったのか。
真っ平らだからといって何もなかったことを意味していない。
最近になってかなりフムフム、、、、という推論がわたしの中で持ち上がってきているので、いずれzoomで発表しようと思ってます。みんなに聞いてほしいです。
で、群馬。
貫前神社という上野国(コウズケノクニ)一ノ宮。
http://www.nukisaki.or.jp/index.html
やはり物部。
軍用馬を量産していたのは物部。
かつ、わたしが気にしているのは「フツヌシ(経津主神)」。こちらの御祭神で、神社のサイトにもけっこうつっこんだ記述がある。
で、フツヌシといえば、香取神宮。こちらも、鹿島と並んで東北への入り口。
藤原勢がうまいことやって由緒を我がものとしたわけだが、元は物部。
で、そのフツヌシの「フツ」とは何かという話。
「フツのミタマ」がなぜ石上神宮のセンターに祀られてるのか。
ここで徐福伝説を思い出す必要があって、徐福とは日本でジョフクと呼ばれているわけだが、本来彼の名前は徐市と書いて「ジョフツ」。
徐福はつまりニギハヤヒなのではないか説と繋がる。
では葦原中国(アシハラの中つ国)とは一体どこなんだ?という話。
徐福は「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかった」と言われているわけでね。
平原広沢というものがすなわち、大宮なんじゃないの?それが氷川神社なんじゃないの?
という説。
もろもろ鑑みて、それはそれで納得できる。
群馬には、以前も紹介した「名草巨石群」という、実に奇妙な場所があり、名草と言えば、名草戸畔につながるのだが、名草戸畔は紀州のお話とされている。でも本当にそうなのか?
地方のことをもっといろいろと知りたい。
いろんな地方出身の人が、自分の地元のことを「何もないところ」のように言うことが非常に残念だし悲しい気持ちになる。
ビルが並んでいる町は「都会」かも知れないが、それがすなわち「何かあるところ」なんかではない。どんな土地も「何もないところ」なんてあり得ない。
みなさんそれぞれ、自分の生まれた土地のことを遡ってよく知ってほしいし、それをたくさん教えて欲しいとわたしは思っている。
「知る」ということはとっても大切なことだと思う。
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