先日、何がどうなって、そうなったのか、とにかく発見した、大阪の
当宮の縁起によりますと平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810~824年)に、弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、3ヶ所に分かれて地上に落ちました。現在もこの伝説は当地に残っており、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、もう一つが、この星田乾にある降星山光林寺境内、そしてもう一つがこの当宮の御神体であると伝わっています。後に弘法大師は当宮の地に赴き、大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」としてお祀りされました。後世には淳和天皇、白河天皇、後醍醐天皇を始め楠木正成、加藤清正以下、農民にいたるまで崇敬を集めたと伝わっております。これらの由緒は平安時代貞観17年(875年)の『妙見山影向石縁起』並びに江戸時代に書かれた当宮の縁起書に記載されています。
なぜ、ここにぶち当たったのか、考えれば考えるほど不思議だ。
うろ覚えに「そういえば、大阪に妙見神社があったよな、、、」と検索してヒットした。
ところが、その後調べると、実は大阪にはもう一つ有名な妙見宮があって、そちらは日本三大妙見にカウントされているらしい能勢妙見。大阪の北側にある。
どう考えても、そちらに先にたどり着きそうなものだが、なぜかわたしが「連れて行かれた」のが星田妙見で、星田は空海。能勢は日蓮。
そしてもし日蓮さんの方に行っていたら、妙見菩薩の絵は猛々しいオッサン像で、
わたしはここからインスピレーションを得ることはなかった。
そして、すぐ東側が生駒であるこのエリアの地図をゲキ見して、かなりの衝撃を得ている。
まず「妙見」は北極星および北斗七星だが、「磐船」という地名があり、駅名にもなっている。実際「磐船神社」という凄まじい磐座だらけの場所があり、周辺には「天の川」という川が流れていて、少し離れた場所に機物(はたもの)神社という、織姫を想起させる神社もある。
だいたい、市の名前が交わる野と書いて交野(かたの、と読むそうだ)。
何が交わったって、織姫と彦星(ベガとアルタイル)でしょう?
あるいは「はた」だから秦氏に関係もあるだろう。
・・・しかしその辺を探ると日本史の迷宮にまんまと引きずり込まれるから意味を読み解くのはやめにする。
今はそんな時間はない。
それより何より、
このエリアをGoogleの衛星地図で表示するだけで、わたしの身体が激しく反応してしまい、
頭上の「渦潮」が活性化してしまう。
だからちょっと困っているし、この記事を書いているだけで今も渦潮がグルグルしている。
(そういうわけで、地図画像は貼らないよ)
身体というものは非常に正直で、実はなんでもわかっている。
ただ、身体が教えてくれることを、我々は言語に翻訳できないから、それが一体なんなのか、わからないだけなんだよね。
とにかく気になる。
そんなに気になるなら、行くしかない。
どうしてこんな、何が何だかわからないところに、そして何が起きるのか、何しに行くのかわからないのに、「行くしかない」って思うんだろう。
「行ってみたい」ではない、早く行かなくては!と思っていること自体が、謎だ。
ただもう、わたしは自分の身体感覚だけを頼りに、この先を生きることに決めた。 つまり肉体こそがコンパスだ。
そんなわけで、今週金曜日、大阪入りします。
1 comentário
妙見宮ではありませんが、このエリアにかつて惹かれて、訪れたのはでんぼの神様の神社でしたw
時を同じくして、友達はその磐座巡りをしておりました。
どうぞ実り多き訪れとなりますよう(^人^)
そして、旅のエピソードをきかせてもらえるのも楽しみにしております♪