なんだかもう年末というか、すでに一年終わった気分じゃないですか?
今年を振り返る的な気分に、最近いつもなっています。
「変容」という点において、
マリアグリッドが来てから、一番変わったのは、
何を隠そう、おそらくこのわたしだろうと思っている。
これは、なにも、実家の土地および母の変化だけじゃなく(って、それだけでも一生かかっても無理と諦めていたわけだから、奇跡オブ奇跡なわけだけれど)
知らないうちに身体が変わって、なんの努力もトレーニングもしてないのに、結跏趺坐とか簡単にできるようになってたわい!
とか、
もう、自ら進んでお酒を飲みたいとは思わなくなった、とか、
なにもしてないのに基礎体温が上がった(前は35°台前半が、今は常に36.6°ぐらいはある。って、コロナのおかげで勝手に検温してもらえるから知ったこと)とか、
そういうわかりやすい変化よりも、
自分にしかわからない、「何か」が変わった感。
というよりも
変わってしまったんだ、というしみじみした実感、それがすごい。
元々、わたしは、エネルギー体感がある人間じゃない。
というよりも、割とそういうものには懐疑的で、それまで提供していたアクセサリーなども、みんなが「すごいエネルギー」と言ってくれてはいたものの、自分ではわからないから「そうなのかー」としか言いようがなかったし、
もう一つは、神社やパワースポットと言われるようなところで、いわゆるキラキラ系スピが「きゃあ♡すごい波動〜」とか言ってるのを
ま、はっきり言って、バカじゃないかと思っていました。
はっきり言いました。
そう、さらにはっきり言って
「だからなんなんだよ!」という気持ちの方が強かったし、
はっきり言って、今もそれは全然変わっていません。
波動の強いところに行ったからって何なんだ。それを検知したからって何なんだ。
そんなこと言ってる人たちの望みが、わりと、その、なんていうか
要するに「金運」だったりとか、憧れの人に会えたー、だったりとか
その、まあ、はっきり言ってそんなに次元が高くないというか。
そんなに「無条件の幸せ」を手にしてる感がないというか。
そんなことよりきちんと普通に稼げるスキルを身につけるとか、自分の商売に役立つITリテラシー(検索技術じゃないよ)を身につけるとか、マーケティングについて学びなよ!と思っていましたし、今も変わらず、それはそう思ってます。
だからマリアグリッドも、いわゆるそれ系の「すごい〜♡」みたいなだけの反応をされたら、本意ではありません。
だいたい、わたしは自分が「スピ」の人だと今も全く思っていない。
(って、必ず出てくる「スピ」って何?問題)
わたしはいわゆる「見える聞こえる」系の人ではありません。
そんなもん見えないし、そんなもん聞こえもしない。(どんなもん?)
でも、いうなればわたしは「わかる」のです。
自分の変化という点でいえば、
次から次へと、マリアグリッドのバージョンがやってくるのも、改めて考えてみれば驚き中の驚きですし、
あっという間に、仲間ができたことも驚きですし、
それも、今、こうしてみると、このバージョンが、
きちんと段階を踏んでやってきていること、(一足飛びに 「希望」とかじゃなかったという点)そのステップ通りに自分も向き合わされてきたこと、
そして何かが深く腑に落ちるたびに、わたしの中の「何か」がどんどん変わっていってる。
それで、もっともナウなわたしの状況はというと、
なんだか知らないけれど、情報が勝手に入ってくる〜
という状態。
これまったく意味不明なのです。
そのことに気づいたのは、超ホットな最近のことです。
今頃になって、わたしはやっと、この本を読み出しました。決して新しい本ではありません。
で、すごく面白いけど、ちんたらちんたら読み進めていましたところ、
こないだ、あるページにきたら、
何かが起きたのです。
えーと、つまり、それは
エジプトの、アドビスの神殿についての事柄に触れた章のことで、文字と図版な訳ですが、「何かものすごいもの」がわたしの中に入ってきた。
なんだろう、なんだこれは?
でページをめくるわけですが、例えばこれなんか
の箇所では、(てか、今見ても)なんだか知らない、「ものすごいもの」が入ってきて、全身の毛細血管が一斉に流れるような感じ、
自分内に滝が流れている感じ、を受けます。
ちなみにそこには、なんの感情も伴わない。
ただの「情報」です。
さらに
これなんか、「ただの文章」なのに、自分内の滝がすごいこと(華厳の滝レベル)になってます。
他にも、しかるべきある方がFBにシェアしていた某神社の写真(ちなみに行ったことある)を偶然見たら、
同じようにブワーーーっと入ってきて、胸のあたりが物理的に熱くなった。
この現象が一体なんなのか、さっぱりわからない。
ついこないだまで、こんなことは起き得ませんでした。
ちょっと待って、わたし、どこまでいくんだろう?って思ったら、ちょっと怖いような気もしてる。
わからないから、知りたくなる。
「わたしは知りたい」。
多分、それはわたしの持って生まれた行動原理のすべてでもあります。
でもなんかそれは、本当の意味での「自分探し」なんじゃないかな、とも思えてきた。
「本当の自分」を探す、という意味です。
わたしとは、いったい何者なんだろう?
何かを獲得したいと思ったことは一度もなく、わたしはただ単に、この世界がどうなっているのかを「知りたい」。
ほとんどの人はそれを知り得ないまま死ぬ。
よくある、キラキラ系の「前世は〜」みたいな話はどうでもいい。
わたしはもしかして、自力で遡り、自力で発見できるのではないか?
そして、わたしは自分という山の頂点に登りたい。
そして、わけわかった状態で、この人生を閉じたいと思っている。
そんなふうに思う一年の終わり。まだ10月だけど。
ではまた