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逗子の話(1)何をやってもダメな土地とその顛末
この件は色々な方面で参考になる方がいるかも知れないので頑張って書いておこうと思います。
でも、背景がシンプルではないので何を話の起点として書き出せばいいのかすらわかりません。継続中の案件ですので、わたしの考察も含めつつのお話になります。
ゴチャゴチャするかも知れませんがご容赦下さい。
【背景1】何をやってもダメな土地とその顛末
2年ほど前だったか、信頼おける磐活仲間のイケちゃんが、何かの折に「逗子の話」を教えてくれた。
イケちゃんの自宅を建てた際の建築事務所の社長が、逗子のある場所に土地を買ったんだけど、なんかえらい目に遭ったらしい。その話をブログに書いてるよ、とのこと。
それだけ聞いた瞬間、脳裏に「もしかしてあそこでは?」と浮かび、後でブログを見たら、まさに「あそこ」でした。
ブログはこちら。社長も、やはりどなたかの参考になればとの思いで綴られています。
要約すると、モデルハウス用に取得した土地は、どうやっても計画が進まない。どういうわけだか、頓挫する。もろもろ調べると、以前の持ち主、地主共に尻すぼみのようになって去っていった過去があり、土地の由緒を調べたところ水神、お稲荷、蛇塚などが混在し放置されたままということがわかった。わかってしまった以上、社長は意を決して手厚く祀ることを決意し、最終的に誰でもお詣りできる稲荷社を建立するに至った、、、、というもの。
すごい話です。
しかしなぜわたしが即座に「あそこでは?」と浮かんだか。
それは昔から、つまりわたしの青春期から、「何をやっても続かない土地」として記憶していたからです。知る限り店ができてはすぐ変わるを繰り返し、今はコンビニになっています。
そのような「何をやってもダメな土地」は鎌倉周辺には非常に多く、地元の人間なら代々それを見聞きしているので知っている、特に珍しいことではないのです。
でも、ヨソから来る人はそんなことは知らない。良さそうな土地だと手を出す。商売なら上手くいかず、住居ならおかしな死に方をするなどして絶えていく。。。
今、わたしが土地の因縁を解くようなことをしているのも、こういうことが「普通にある」町に育ったことが大きいかも知れない、などと思うことがあります。
さて、その逗子の問題の土地ですが、もう一つエピソードがあリます。
現コンビニはその一角ですが、その辺一帯の「どこか」が、中高時代に「お化けが出る」的なことを聞いたことがありました。その辺一帯のあるところに住んでいた同級生の家に遊びにいったことがあり、「なんかやな感じ」だったのを覚えています。この同級生はKさんと言います。優しい子だったけれど、家庭の事情で退学し、確か引っ越していったと記憶していました。
(→このKさんも、今回の長いお話の中に登場することになります)
そんなわけなので、イケちゃんから話を聞いた時、これらの全てが漠然と繋がり、意味がわかった気がした。そしてホッとした。いわゆる「呪われた土地」はもうないのだ、と、良かったなあと思ったのです。
そして、青春期にその土地の話をよくしていた、やはり同級生のAちゃんのことを思い出しました。「知らせなきゃ」と思ったのです。でも、なぜか、そうしなかった。なぜか連絡せずにいました。