以前、このような記事を書きましたように、
霊主体従 〜体力減退に加齢はそれほど関係がない
わたしの関心事の一つに「疲れ」というテーマがあります。
昔は、あれほど「疲れ」やすかった自分が、今はほとんど「疲れた」という感覚を得にくい(って言うのもナンだけど)、要するに「疲れ実感」から遠くなっている。
これに一番驚いているのはわたし自身に他ならなくて、
一体どうしたことなのか。どういうメカニズムなのか。めちゃくちゃ知りたい。
「疲れなくなった自分すごい」という話ではなく、「疲れ」の要素とは何なのか真剣に知りたいと考えている。
だからみんなにも一緒に考えて欲しいと思ってる。
だって、それが解明できれば、人類にとってとてつもないことになるよね。
さて、このところ、わたしはもっぱら大工仕事ばかりしています。
このように劣化した塗装を
工具を使って剥がし、現在ここまできた。
一旦素木に戻して、塗装をし直す、という普通シロウトは考えつかない途方もない作業。
当然ながら、とんでもない労働力で、かつ、無理な姿勢で長時間作業します。
が、疲れない。
一切、疲れない。
あまりにも疲れなすぎて、何かがおかしいとまで思うわけですが、実際疲れないのでお日様が沈むまで連続して何時間でもやってしまいます。
だけど、
こないだから、右手首は痛み出して、例えばライターに火をつける、といった動作が痛くてかなわん。
けど、グリッドするとある程度は痛くなくなる。
よって、また作業を続ける。
そんなことをやっていたら、右の二の腕あたりにまで、ひきつる感じになってしまい、右手はむくみもしている。
いつものゴッドハンドのところに行きましたところ
「あちゃーーーーーーーー」
と言われ、腕だけじゃなく腰、背中、首のすべてがガッチガチですよ、とのことで、確かにそんな風になっていてもちっともおかしくないだけの作業をしているわけだかから、そりゃ納得なんだけど、
じゃ、「疲れ」って一体何なんだ?
どのようにして感知されるのか?
とやっぱり思うわけですよ。
人体とは「霊主体従」だから、エネルギー体(霊)が主導して、筋肉(体)は従ってるだけなんだろうけど、
「霊」は疲れがないからどこまででもやろうとする、やれてしまう。
しかし「体」はもう無理だ〜、となっている。
で「わたし」は「痛み」が出るまでそのことにまったく気づかない
という構造だけはわかった。
・・・・しかしモヤモヤする。
ここでわかったのは
1)肉体の「疲れ」を未然にキャッチする機能が自分には装備されてないのか?って話なのか?
2)一般的な人が「疲れ」るのは肉体の疲れをキャッチしているわけで、しかしその分エネルギー体の力をそれほど使っていない、ということなのか?
ワカンネーーーーー。
けどとにかく、少し手を休ませないといけないことだけは確かなようです。
ただ、物理的な一つのことだけは確実に理解した。
ボッシュのプロフェッショナルシリーズ 。
もはや自分の手と同化していると思っていたが、
本来、ドイツのおっさん用に設計されたツールに対して、わたしの手がミニミニ過ぎるってこと。
1.5キロの重量を持って動かし続けるのは大した問題ではないけど、掴むという動作では「手のひら」の大きさがものをいう。
そうだ、ドイツ人てデカイんだった。。。。昔、ドイツのトイレで便器にお尻が吸い込まれそうになり、「こんなにデカいのか!」と驚愕したことを思い出したw
そんなわけで、自分にできる回復としてはグリッド。
これでだいぶ腫れは引いた。
あとは腕の内側の神経経路の図版を探せばどうにかなるかな。
人生は何もかもが人体実験でやんす。