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「鍵のグリッド」わたしたちみんなが、鍵の管理者


「鍵のグリッド」わたしたちみんなが、鍵の管理者


以前から課題だった「鍵のグリッド」がようやく完成したので公開します。

 

ずいぶん前から「次は鍵」と知りながら、それが何なのかモヤモヤ過ごし、12月のある日、腑に落ちた。

この時には自分の中で言いようのない興奮がありました。

 

わたしは、鍵は「あけるもの」だと思っていた。

閉まった扉を開ける鍵。

 

でも、そうではないのかもしれない。

 

むしろ扉はすでに、開いている。

わたしたちはそれが閉まっていると思い込まされているのではないか。

 

誰か一握りの人だけが、「その扉」を開けたり閉めたりする「権利」があるなんて。

わたしたちが「そちら側」へ、行きたければいつでも行ける。

自分で鍵を開ければ良い。

 

そしてその鍵を、みんながそれぞれ持っているならば、たった一人の管理者が開けたり閉めたりすることは不可能になる。

 

 

そんな風に、想いがめぐりました。

 

 

これには結構なストーリーがあります。

12月のある日、ある偶然によって、わたしはかつて自分が撮影した1枚の写真を見ることになりました。

それはこの写真。

この写真を開いた時、即座に「なんだかわからない強烈なもの」が入ってきて、脳髄を通って抜け、同時に全身の毛細血管が一斉に伸縮したようなジンジンがありました。

 

この写真は2016年のローマ。

「特別聖年」と訳されるGiubileo の年。

通常は25年ごとに巡ってくるGiubileoが、なぜかこの年はイレギュラー(特別)に制定された、ローマの4大聖堂のPorta Santaが開く年。

Porta Santaとは聖なる扉。この期間以外は固く閉ざされ、コンクリートで封鎖されている。

(これに関してはどなたかの紹介記事を参照してください)

 

 

どういうわけだか、この年、わたしはヴァチカンに行くことに。

あとで考えれば、わたしはその前のGiubileo、2000年の時もローマに住んでいた。

そしてローマ教会的なものにシンパシーを感じていないのに、なぜかこの年は、4つの扉をくぐってやろう、と強く決めていた。理由などない。

ちなみにカトリックでは、この4つの扉をくぐれば、すべての罪が贖われると言われていて、社会としては囚人の恩赦が執行される。

もちろんわたしはそんなことは信じない。

けれど、どういうわけだか、絶対やってやろうと決めていたのも謎だった。

 

 

そして4つの扉をくぐり、帰りの飛行機でわたしは

「わたしはもう、大丈夫なんだ」といったような、言葉にすればそんな感じだが、なんだか知らない強い安堵、強い保証のようなものを手にしているのを感じた。それもさっぱり意味がわからない不思議な感覚だった。

 

 

この写真を見て、4年前のそんなことを思い出したら 

「あれ?」という気になった。

開いた扉を、わざわざ閉める人がいる。

一体、なんのために?

 

何度でも罪が帳消しになるのなら、扉なんか開け放っておけばいいものを、

と思ったら、ふと腑に落ちた。

 

閉めさせなければいいんだ、と。

 

 

まあ、この話はいろいろなものの寓意です。

受け止め方は、それぞれで構いません。

 

 

このグリッドのエネルギーは、あなたの鍵を開けるものであり、また閉めるものでもあります。

12体で、強力なバリアを作ることができます。

 

 

8体で、オモテとウラ。

 

他のグリッドのエネルギーと合わせて使っても良いです。

 

 

鍵のグリッド商品ページはこちら