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セッションレポート(2):ネガティブコードのクリアリング


セッションレポート(2):ネガティブコードのクリアリング


神戸に住むこの相談者(Aさん)は、透明感あるとってもきれいな人。

「とにかく自信がなくて」が、相談の一言めだったことに、正直大変驚きました。「自信がない要素がどこにもない」としか思えないのに。

 

ご自身の分析では、育った家の状況(親の状況)といったものの影響が強く、子供の頃から居場所がないと感じてきた。自分の意見などを言うにも、常に相手の顔色をうかがう癖がついてしまった、、、とのこと。

深く掘り下げて行くと、両親の不仲、突然態度が豹変する母親、父親の暴力、やがて両親は離婚に至るものの、父親の再婚相手も早死に、年月を経て父親も無くなっていたことを知った、、、というような。

残った母親は非常にネガティブな空気を常に纏い、気が重くなるのでAさんは母親宅にも寄り付かなくなっている。

 

そこで、今は人手に渡っているという、幼少期を過ごした家がどんなものか気になったので、地図で見ると、いわゆる山を崩して区画整理された、典型的な昭和の住宅地でした。

しかしAさんの家だけ、明らかに区画が変、飛び地のような状態であることに目が行き、その家で一家がどんな様子だったのかを聞いてみると、封印していたと思われる記憶がどんどん飛び出してきました。

試しに、と思ってこちらのiPadで地図の上にグリッドを展開すると、瞬間的に変化が起きたようです。

次に、家の区画の延長線上に「●●神社奥宮」と書かれた小さな社があることも気になっていたので、それについて尋ねると

「そういえば薄気味悪い場所だった。暗くて誰も行かないような」と返ってきたので、そちらには生命エネルギーのマリアグリッドを展開してみたところ、Aさんの体感はますます軽くなったようで、「深く呼吸ができる!」とのことでした。

 

以下は、翌日「私はもう大丈夫です」という力強い言葉とともに送られてきた感想です。

 

ともかく、昭和期の宅地開発の問題点といったものを非常に感じました。

名前は出しませんが、その住宅地のそもそもの名前は、明らかに古来から神聖な何かがあることを示唆していました。

山を崩す、ということはどういうことか、なぜそこに社があるのか、わたしたちはよくよく考えた方がいいと思います。

 

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セッションを受けた時、的確にかおりさんが私の実家と古い奥宮とをきちんと捉えて下さったお陰で、深くフタをしていた数々の記憶が蘇りました。

それはとてもとても辛い記憶でしたが今は思い出しても全然大丈夫です。 

 

かなりオカルトな現象も同時に経験していましたが、今はそれらの全てを客観的に見ることができ、今日の日まで人として腐らず頑張って生きてきた自分を素直に認め、褒めてやれました。

 

今までたくさんのセッションやらを受けてきましたがこんな境地には至れないままでしたので感謝の気持ちで一杯です。

 

マリアグリッドをかおりさんがiPad上で、私の実家、奥宮に置いた瞬間にずっと長年首を締められたような圧迫感があったのがスッと軽くなり、空気が肺一杯に入ってくる感じがしました。

マリアグリッドの置き方か方向か細部は覚えていませんが、かおりさんがマリアグリッドを動かすと首や額の感覚までが変化したのがとても不思議でした。

 

マリアグリッドのパワーをひしひしと体感できた時間でした。

 

送られてきたマリアグリッドの箱を開けた時に『私の所にも来てくださった』と言う泣きたくなるような切ない気持ちになった理由が全て繋がり今となってはわかる気がします。

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マリアグリッドが負の情報を消去することは、わたし自身の実家の件で確信していましたが、だからと言ってというか、そうは言ってもというか、ここまで効力を発揮するとは、、、と少し驚きもありつつ、逆に一切驚きもしない自分がいます。

いずれにせよ、神社というものは、それなりにただならぬ場所なわけで、そこにある「意味」があるわけなので、ないがしろにしてはいけないものだということは、体験的に理解できました。

遠くのパワースポットに出かけるよりも、自分の住む場所の近くの神社に感謝とねぎらいを向けることはもっと大事なのだろう、と思います。

日本は不思議な国です。ありとあらゆるところに社があります。例え目立たぬミニミニ神社でも、力を持っているのです。

今、気が枯れているそれらの神社のすべてに生命が復活したら、多分、ほんとうに日本中に張られた「グリッド」になるのだろう、ということがなんとなく理解できてきた今日この頃です。このことは非常に重要な気がします。

 

それから、いろいろと、人にはなかなか言えないような、言っても理解されないようなつらい体験を重ねてきた人は、とにもかくにも、そうは言っても今まで人の道を外さず生きてきた、ということが何より立派なことなのだ、と腹に落として自分を褒めちぎって欲しい、自分をねぎらって欲しいなと思います。

 

人からの賞賛より、自分が自分にかける賞賛は、まず真っ先に何より大切だと思います。