かれこれ数年前にもなりますかね、瞑想会に行くことがありました。
その方の瞑想指導はとても上手で、誘導に従っていればたやすく深い瞑想に入ることができました。
が!
「会陰からグーーーっと管が延びて、それが地面に降りて、地球のコアまで届き、さらに延びて地球の反対側を突き破って宇宙空間に・・・・」
みたいなことを言われると、わたしは非常に戸惑ってしまったのです。
そこで決定的なあることに気づいた。
わたし、そのようなイメージが、どうしても、どうやってもできない。
できないけど無理やりやろうとすると、気持ち悪くなってくる。
それで、その方に聞いた。
「それって、自分が、ですか?」
「そうだよ」
「その場合の自分て、主体ですか客体ですか?」
この質問に、一瞬キョトンとされてから、「どっちでもいいよ」と言われたと思うのだけど、多分、わたしの切実な疑問ポイントは理解されなかったように思われた。。。。
でも、わたしはある種の状態になったら、「自分」は完全に地球から離れてしまうのか、「自分」の肉体から管が延びて地球に・・・・みたいなことを、主体として認識する?感じる?ことが、どうしてもできない。
わたしが認識できるのは、
「わたし」だと設定したものから管が延びて地球のコアを通過して反対側をぶち破っている、という全体図を、離れたところから観察している「自分」
しかない。
つまり完全に地球を外から見ているしかない状態、です。
一方で、「自分のハートから出た光が、松果体を通って頭頂から出て、それが遥か彼方まで進んでいき、、、、、」みたいなことは、そんなに難しいことではないので、なんだかモヤモヤしたりしましたけど、
そんなモヤモヤが解消されることもないので、まあ瞑想会にはそんなに行くことはなかったわけですが。
しかし、先日のマリアグリッド合宿を経た今では、この謎はあっけなく解決されてしまった(と思っている)。
人はざっくり大別すると「地上型」の人と「宇宙型」の人がいる(優劣の話ではなく、種別の話)と仮定します。
地上型の人は地上的なバイタリティに富むでしょうし、宇宙型の人は宇宙的な、天上的なインスピレーションに富むでしょう。
ちなみにわたしは典型的な後者。(要するに、この世的なことにあんまり興味がないというか、執着がないというか。でも地面へのグリップ力が弱いと、実際に大きなコトを動かす力は出ません)
そして、もうひとつは、エネルギーの取り込み口が、足元からなのか、頭頂からなのか(どちらがより優勢か)という個々人の種別があります。
これはその時の、その人の状態(心のステイタスや体調も含めて)で変化するかもしれません。
ちなみに、「グラウンディング」は自分と地球との関係性の話ですので、ガイアエネルギーのマリア像を使うことをお勧めしています。
先ほど言った宇宙型の人は、自己エネルギーの調整として、ときどきコズミックマリアをお使いになるといいと思います。
それで、頭頂から取り込むタイプの人は、マリア像の向きをこのように配置すると、力強く安定しますし、
逆に足元から取り込むタイプの人は、配置をこのように。
わかりますか?
エネルギーはトーラスですので、「自分軸」を通って循環します。
その人の状態による変化というのは、いわゆる「気力が湧かない」ような時は、足元からの力が不足している(グリップ力、推進力不足)でしょうから、そちらを強化し、逆に「いいアイディアが湧かない」とか「気分が落ち込む」のような時は、頭頂からの力が不足(天からのサポート不足)でしょうから、そちらを強化すればいいわけです。
要するに、ボードをまたいで立てばいいわけですから、非常に簡単です。
立てば瞬間的に体の軸は強化されますから、あなたは何もする必要がないわけですが、立っている間に、エネルギーが自分軸を通って排出され、また循環していくイメージをすれば、より効果的かもしれません。
これを続けていけば、確実に何かは変わってくるんじゃないでしょうか?
そう思って、わたしは最近、100日チャレンジとして、「起きたらグラウンディングする」を実験してみることにしました。
こんな風に。
ハッシュタグ
#マリア御百度参り
#mariagrid #grounding #kaorissima
などで検索してみてください。
グリッドを手にした方は、一緒にやりましょう!同じハッシュタグで投稿してください。みに行きます!
よかったらインスタフォローもしてくださいね。
ともかく、
「グラウンディング」で検索すると、まーーーいろいろな記事が出てきます。
が、中にはグラウンディングとアーシングを取り違えてたり、わけわからないテクニックと称するものや、やたら観念的な話になっていたりと、単に検索結果上位狙い記事のなんとまあ多いこと(笑)
とにかく、それを続けることで身体や心に変化が起きなければ、それは質の良いグラウンディング ができていることにはならない、という点だけ、理解しておけばいいと思います。
ではまた〜!