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【古代史】三島溝杭耳 からの、謎多き徳島


【古代史】三島溝杭耳 からの、謎多き徳島


マニアック過ぎて誰にも伝わらないこのコーフン!

 

説明すらもできないから、このコーフン感だけ記載しておく。

 

三島溝杭耳。ミシマミゾクイミミ。

少女神 ヤタガラスの娘』に偶然出会わなければ知り得なかった名前。

神々の名前がややこし過ぎて正確な理解追い付かないけど、とにかく目下最大の関心事のひとつ。

 

そして、なう!

あるグリッダーの方からメッセージが。

 

 

 

 

こんなことってあるのか!!!

 

 

この方は出身が徳島。

徳島といえば日本において超絶ディープな歴史を持つ特別な場所。

 

旧姓について、変わった苗字だから調べてみたこともあって、その時古事記や日本書紀に出くわしたが、詳しいことはわからなかったそうなんだけど、それが繋がった、と!

この方はもう2年ほどグリッドのユーザーだけど、わたしだってこのタイミングで言われなかったら、溝杭と聞いてもポカンだった。

 

謎多き徳島。

忌部という吉野川流域の「氏族」。

大嘗祭で使われる天皇の「衣」、麁服(アラタエ)というものを作れるのは忌部氏の子孫である三木家。

 

わたしは知りたくて知りたくて、去年行った。まさに、沼島おのころ事件の翌日。

 

忌部神社。

 

 

 

麁服とは、聖麻というのか?特別な大麻で織られ、出来上がったものはこの神社にて聖別(とは言わないだろうけど)儀式を経て、天皇に献上される。捧げものではなく、天皇からの依頼を受けてつくるものであることは重要ポイントの一つ。

そして確か、麁服は大嘗祭で「一度袖を通す」ためだけのものだったような記憶もある。(あとで調べるわ、うろ覚え)

 

そして

麁服の示すものとはすなわち、

蛇の脱皮

であると、例の本の著者みシまる 湟耳さんは読み解いている。

 

 

ま、とにかく。

溝杭。

速攻検索した。

https://name-power.net/fn/%E6%BA%9D%E6%9D%AD.html

このレア中のレアな苗字は徳島に100名ほどで、全国でこの分布。

 

 

顕著に見られる市区町村

徳島県 板野郡松茂町

ということで、この町を見てみると、

2つの川に挟まれたエリア。今は空港がある。

 

と、いうことは、

当然、治水に長けた、技術を持った人たちな訳で、もちろん水軍的な、河川航海技術だって持っていただろう。

溝杭ならば、まさに!というような感じさえする。

 

 

ちなみに徳島は「阿波」

それが房総半島に渡って「安房」。

 

 

 

だからと言って、なにがわかった!というわけでもないが、

とにかくめちゃくちゃ驚いた。

 

 

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