昨年1年を通して、わたしが「わかった!」と思った画期的なことのひとつが「負の仕組み」です。
あまりに奥深いのでシリーズで書いています。
前回の話はこちら。
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こうなってくると、Kにまつわる過去のいろんな出来事が、やたらと鮮明な意味性を帯びてくる。
不受不施派のwikiにこう記述があるわけだが、
1616年(慶長17年)日奥は赦免されて妙覚寺に戻った。1630年(寛永7年)、受布施派の久遠寺は、「池上本門寺の日樹(不受不施派)が、久遠寺について、謗法をしており、参詣する者は地獄に落ちると言いふらし、潰そうとしている」などと幕府に訴え、江戸城にて両派が対論(身池対論)した[1]。この時、久遠寺は本寺としての特権を与えられるなど、幕府と強い繋がりをもっていたことからそれを活用し、結局政治的に支配者側からは都合の悪い不受不施派側は敗訴し、追放の刑に処されることになった。この時、日奥は再び対馬に配流されることになったが、既に亡くなっており、遺骨が配流されたとされる。
身延山久遠寺は 「受布施」つまり、お金を受け取っても良い派だった。
そこでピンと来たのは、
わたしはなんとなく毎年身延七面山に登るのだが、Kはある時一度登ったきりで「もういいわ」と言い、その後は登山に気が進まないこと。
特に気にしていなかったが、今にして思えばそういう所縁があったのか。
さらに思い出すのははるか学生時代のことで、
Kはひょんなことからフィレンツェにしばらく滞在することになったのだが、
そこのイタリア人家族が熱心な創価学会の信者(ちなみに創価学会さんはイタリアでめちゃくちゃ強いですよ。てか、ワールドワイドか)。
な〜んにもわけわかってないKは、家族に学会の集会に連れて行かれ、集まってる人々はなぜか熱狂。
というのも、彼らにとって初めての
本物の「漢字で南無妙法蓮華経と書ける人物」の登場!!!
と見なされたからだった。
それでKはその辺にあったボールペンで何十枚も「南無妙法蓮華経」と書いてやり、人々は大興奮!
・・・・・・というエピソードは、あまりに映像が浮かびすぎて、当時のわたしのお腹をよじらせるほどウケにウケたわけだが、
本人は「なんでそんなにウケるのかわかんないんだけど」と言っていた。
、、、、って、おかしいでしょどう見ても、ウケるじゃん、そのシチュエーションw
まあ、これだって今にして思えば、やはり「ナンミョー」とのご縁。
すごいなあ、すごいなあ、、、、としか言いようがない。
つくづくすごい!と思う。
まあ、そういうわけなので、Kに入り込んでいる負の主を、再び地図上にグリッドを組んで無事に行くべきところに送りましょう、ということになったのだが、
組まれたグリッドを見て驚愕した。
普段、非常にテキトーに、ゆるく並べているKとは思えないほど、ギッチギチで、隙間なく、神経質なまでに場所を囲んでいる。
あー、これは彼女がやっているのではないんだな、、、と思ったから、刺激しないように(笑)
「いいんだけど、もう少し隙間を開けてみようか」
とか、
「色を揃えてみようか」
とかやっているうちに、
また抵抗が始まったようで、
Kによると「すっごく真面目で冷たい感じのする人だ」そうだから、
きっと母性や慈愛、優しさを必要としているのだろうと思い、マリア像の寒色は抜いて、暖色系だけで螺旋を作るように言った。
この時の様子は、
何か必死に、隙間を作ってはいけない!きちんとしなくては!
という強迫観念がKの中に発生して、「テキトーに」と言われても何がテキトーなのかわからない、という状態だったらしい。
そんな心理は完全に、日頃のKではない。
気の毒だなあ。負の主はすごく生真面目な人だったのだろう。
それゆえに、「あっちに行ったら罰せられる」と思っていたのではないか。
つくづく気の毒だと思った。
それにこの負の主だって、負のコードによって操られた人の一人だ。
だから負というのは、際限ないマトリョーシカのように、人類に連綿と続いて私たちを縛ってきている。
そのことに、気づくか、気づかないか、が自分の人生を捉えるにあたり大きな差となっていくわけで、
負は我々の生活そのものや、人間関係にまで介入してくる。
風の時代と言っても、コードが巻かれていては、風の軽さは望むべくもない。
そろそろ、気づいて解除する時期に入っているとわたしは思っています。
どんな人の人生にもストーリーがあり、
わたしたちは、なんか一人でこの世を生きている気になってるけれども、断じてそんなことはない。
わたしたちの肉体はただの器で、要するに「シェアハウス」だ。
いろんな人が入居している。
負のコードがない人はいないけれども、負もあればまた正のコードもあるはずで、多くの人はそれが拮抗しているか、むしろ負にドライブされている状態である、ということだ。
自分内の正のシェア、含有率を上げていけば良い。
それは地道なことだけれど、取り組む先に必ず光がある。
「負の世界では、負が正である」ことを理解するのは非常に重要なことだと思う。
いったん、Kのエピソードをこれで終了します。
負の仕組みについてはまだまだ続いて行きますよ。ボチボチ書きます。
>>続く
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