妹と連絡が取れなくなっている、無事生きているのはわかっているが、居所を教えてもらえない、、、、というお話から、
「自分の居場所を知られたくない心理」とはどういうことだろう、、、
と考えてもしや!とひらめき検索してみたら、案の定、その町にはかつて遊郭があり、時代の流れとともにいわゆる「赤線・青線地帯」となったらしいことが書かれたサイト記事を見つけた。
冴え渡る俺のカン!!!
そこにグリッドを展開してもらったところ、嬉しい結果が返ってきたと報告を受けました。やった!
実際的な結果となって返ってくるのが嬉しい。
ちなみにわたしは若い頃から「遊郭跡地」には並々ならぬ関心があり、地方に行くと必ず探していたようなマニア。要するに、「陽の当たらないものごと」に対して、「なんでだろう?」と知りたくなる性分。
そんなことに詳しくてどうするの?という周囲の呆れっぷりが懐かしい。今はそんなことがぜ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んぶ役に立ってますー!まさに伏線の回収中(笑)
上の写真はただの「イメージ」で、どっかから拝借しました。
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10代の頃から、映画や物語のなかで遊郭や花街の様子を見ると、何とも言えない気持ちが込み上げてくる。どうしてなのかは分からない。
単に「関心がある」という程度ではなく、哀しみとやるせなさ、諦めとかすかな懐かしさが体の中から立ちのぼる。
今回かおりさんとのやり取りのなかで、それが土地の記憶と関係していることがわかり、とても驚いた。地元に遊郭跡があったのだ。
私には妹がいる。混沌とした家庭環境だったこともあり、子供の頃からあまり姉と妹らしい関係性はなかったように思う。それはお互い実家を出てからも続いていた。
様子が気がかりでメールをしても、返事はあったりなかったり。だからと言って、こちらからあまりしつこく連絡することもはばかられるような状態が長く続いていた。
普段からあまり他人を羨ましく思うことはないけれど、「仲の良い姉妹」に関しては、とても羨ましく感じていたし、そうではない自分を「悪い姉、薄情な姉だ」といつもどこかで責めていた。 そして、いつもどこかで妹のことが気がかりで仕方がなかった。
私たちが生まれ育った町の地図を見ていたかおりさんが、「これ見て!」と指したのは、なんと遊郭跡。
あの町に、そんなところがあったなんて。でも確かに、少し考えれば納得もできた。昔々から交易がさかんで人の往来も多かったから、そういう場所があっても何の不思議もない。 ストリートビューで見て、「ああ、あそこか〜!」とすぐに分かった。子供時代に何度も何度も前を通っていたのに、ただの古い家という認識でしかなかった場所だ。
早速そのエリアの地図にグリッドすると、指先がジリジリする。その後、スッと気持ちが落ち着いた。
かおりさんにすすめられ、翌日思い切って妹にメールをしてみた。しばらくして、いつもとは違う雰囲気の返信が届いた。心が通った感触があった。
またひとつ、わたしたち家族にまつわる因縁がクリアになったのだと思う。近々会う約束をした妹と、どんな話をしようか今から楽しみにしている。