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宗教戒律が残した「負」 〜負のシステム・負の仕組みについて(9)

昨年1年を通して、わたしが「わかった!」と思った画期的なことのひとつが「負の仕組み」です。

あまりに奥深いのでシリーズで書いています。

前回の話はこちら

 

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(だいぶ間が空いちゃったから、前回の話をもう一度おさらい推奨です)

 

自分で自分の因縁らしきものを発見したかも、と友人Kから翌日2つのリンクが送られてきたのをみて、わたしはびっくりした。

ひとつは、ピンときたという日蓮宗のお寺の情報。彼女の先祖が宮大工として関わりも持っていた。

ちなみに彼女の生まれ育ったエリアは日蓮宗が根付いていて、年に一度のお祭り「御会式」を中心に街がまわっている、といった下町文化を今に残すところ。

 

けれど、そちらよりももうひとつの、どこをどう手繰って見つけたのか、

不受不施派

というこのwikiだった。

 

「不受不施派」についてはかなりのキモになる情報なので、あとでまた触れるけど、端的に言えば要するに「(施しを)受け取らない、施さない」と、いう信念というか「規則」の日蓮宗の宗派だ。

うわーーーーー、と思った。まさにこれビンゴだろう。よく見つけたな!!と思った。

これ不思議な感覚なのだけれど、このwikiを読んだわたしは、書かれている以上のかなりのことを理解した。

Kは以前から「お金」に対してなんだか奇妙な「ブロック」がある。

守銭奴というものとは全く違っていて、前回書いたが、お金が絡む話になると、「怒気を発する」(しかし本人まったくその意識がない)ことが特徴だった。

 

一読して、これは因縁に間違いないな、とわたしは直感したわけだが、その間、彼女はすでにA3の紙に、このお寺と、その飛び地である鬼子母神堂がすっぽり入るよう地図をプリントし、そこにグリッドを展開したと言う。

 

ところがそのあと異変が起きた。

 

その晩、わたしたちはグループの勉強会があって、彼女が発表する番だった。

でも、いつもとはまったく違うしどろもどろな様子、本当は理解していることを「全然わからない」と言い、プレゼンの体をなしていなかった。

 

これはいつもの彼女ではない。何かが起きているな、、、とわたしは感じていたわけだが、 

翌日から、彼女は絶不調になった。

 

身体の痛み、気分の激しい落ち込み、時々込み上げてくる怒り、涙、さらにはこの勉強会グループに対する拒否反応・・・・

ひどい鬱のような状況に、一気に急降下。

 

でも、一方で冷静に

「こんなことは異常だ。これは負の仕業だ」と理解もしていたから、どうにか持ちこたえていた。

 

 

地図上に広げたグリッドを外したら、少しずつ良くなってきたというので、落ち着いた頃連絡すると、気分は上向いてきたけれど、非常にモヤモヤしている、とのことだった。

 

一体なんだろう?

場所的にはビンゴなのに、負が抵抗している。

 

 

・・・ということは、

その負の主は、もしかして、不受不施の掟を破った人なのでは?

いけないと言われているけど、お金を受け取ったのでは?

と言ったら、Kは号泣し始めた。

 

このKの感情はもはや彼女のものではなく「負の主」のものだ。

 

「その話を聞きたくない!って言ってる」。

 

いやいや、待って待って。

お金を受け取ったらいけないっておかしな話だよ。

その人だって必死だった。生きていくのに、どうしてもお金が必要だったかもしれないじゃん。

もしかしたら本人よりも、家族のためにとか、子供のためにとか、やむなく受け取ったのかもしれないじゃん。

それはそれで必死に生きようとしたんだから立派なことで、咎められるような話じゃないはずだよね。

 

「落ち着いてきた」

 

もしかしてさー、禁を破ったかどで、捕まって激しい咎めを受けたとか、家族をどうにかされたとか、場合によっちゃもしかしたら殺されたとか?

そんな可能性もあるじゃん。

 

よっぽど悔しい気持ちで、クソーと思いながら亡くなったんだよ。

バカバカしい話だよ。

その人、戒律の犠牲者じゃん。気の毒すぎるだろ。

ぜんぜん、悪くないんだよ。立派だったんだよ。

 

 

「また号泣。やっとわかってもらえた、、、、」

 

そうか、そうだったんだね。

もう気にすることないから、然るべきところに行くといいよ、、、、

 

ということになった。

 

 

Kはこれでぐったりしてしまい、その日は休んで、翌日グリッドを組み直そうということになった。

 

 

この話はまだ続くが、

正直に言ってわたしはかなりな衝撃を受けた。

 

不受不施派の弾圧というものを初めて知ったが、江戸時代のこと、1600年代の話。元はと言えば、隠れキリシタンの取り締まり名目からだ。

お金を受け取ることで政治に抱き込まれたくないという潔白を貫くのも宗教的正義だったと思うし、受け取ることで無駄な流血を避けようというのも判断だったと思う。

でもそんなことが結局人を不幸にしてきた。

それが巡り巡って、令和の「現代」にまで、影響を及ぼす。

約400年もの間、その人(負の主)はずーーーーーーーーっと、どこにも行かず悩んでいた、ということになる。そんな話は悲しすぎる。

 

Kがお金のことになると不自然にピリピリしていたのは、そんな「因縁」あってのことで、

だからそれは「彼女の性格」ではなく、ましてや「親からの育てられ方」などでもない。

彼女の一家に入り込み、あれこれと現象を起こしてきた。

 

政治と宗教は、常に規則と戒律で人を縛り、人を裁いて、人の尊厳をなきものにし、人の命を扱ってきた。

うんざりするような人類の歴史の、それが実態だと思う。

 

今時代が変わって、「お祓い」でも「除霊」でもなく、そんな特殊能力は持たないわたしたちが、「慈愛」のツールで負を解除できるようになったんだ、、、と思うと、非常に非常に感慨深い。

 

 

このエピソードはあまりのもものすごくて、まだまだ続く。

 

>>続く

 

 

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